鉄の扉は、朝の光を拒むように重く沈黙していた。
汐音は懐中電灯を一本、透真に無言で押しつけた。受け取った透真が何か言いかける前に、彼女はすでに扉の錠に手をかけていた。三つある錠のうち、下の二つは普通の鍵だ。しかし一番上のそれは、鍵穴ではなく微細な凹凸が並んだ金属板になっている。汐音は右の親指の腹をそこに押しあてた。数秒の後、かすかな震動とともに錠が解けた。
「指紋認証?」透真が問う。
「違う」と汐音は答えた。「体温と脈拍。遙じいが作った」
透真は何かを言おうとして、やめた。賢い反応だ、と汐音は思った。
扉の向こうは螺旋階段だった。石を切り出して作られた古い段が、電灯の明かりもなく深く降りていく。湿った空気が肌に張りつき、潮の匂いに混じって金属と機械油の気配が漂っていた。汐音には幼いころから馴染んだ匂いだった。遙がたびたびここへ降りては、扉を閉めて長い時間を費やした。子供の汐音には入ることを許されなかった場所。初めて鍵の開け方を教えられたのは、三年前のことだ。
「使い方を覚えておきなさい」
それだけを言って、遙はまた黙った。理由を聞いても答えなかった。いつもそうだった。
階段を降りきると、空間が広がった。
透真が息を呑むのが聞こえた。
天井は低いが、床面積は燈台の基部を丸ごと包み込むほどある。壁沿いにずらりと並ぶのは、見たこともない形状の機器だ。パネル、コイル、無数の細い管が絡み合う配線、そして中央に据えられた巨大な受信体。直径三メートルはあろうか、薄い金属の板を幾重にも重ねた構造体が、まるで花弁のように広げられている。その隙間からかすかに青みがかった光が漏れていた。息をするように、一定のリズムで。
「……信じられない」
透真は呟いて、ゆっくりと歩み出した。コートのポケットからタブレットを取り出すと、何かのファイルを呼び出す。画面には古い設計図が映し出されていた。汐音は覗き込まなかったが、透真が何度も画面と目の前の装置を見比べて、やがて片手で口を覆うのを見た。
「完全に一致する」彼の声は低く、かすれていた。「三百年前の設計図と。一点の誤差もない」
それ自体は、汐音にも予期できたことだった。驚いたのは次の言葉だ。
「でもこれ、最近まで動いてた。いや——今も動いてる」
透真は受信体の縁にしゃがみ込んで、指先で表面を撫でた。
「見て、ここ。油膜が新しい。三百年前のものがこんな状態を保てるわけがない。定期的に整備されてる。しかも——」彼は立ち上がり、壁際の制御盤へ向かった。「このケーブル、交換されてる。素材が違う。古い設計に合わせた新しい材料で、丁寧に作り直してある」
汐音は黙って聞いていた。
胸の中で何かが音を立てた。岩に波が打ちつけるような、低い音だった。
遙が、ここで何をしていたか。汐音はずっと知らなかった。知ろうとしなかったのかもしれない。あの人は何も話さなかったから、聞くことを諦めることに慣れてしまっていた。でも今、透真の声が照らし出すこの部屋は、遙が費やした時間の総体だった。何十年にもわたる、誰にも言わずに続けた仕事の残滓が、そこかしこに積み重なっていた。
「遙じいが、やってたんだ」
汐音が声に出したのは、自分のためだった。確認するように、ゆっくりと。
「そうだな」透真は制御盤のそばから振り返った。「一人で、ずっと。この装置を生かし続けてた」
沈黙が落ちた。二人ともしばらく何も言わなかった。汐音は受信体の前に立ち、漏れ出す青い光を見つめた。一、二、三——光が点滅するリズムを、無意識に数えていた。規則的だが、単純な繰り返しではない。どこかに意志のような揺らぎがある。
透真が制御盤を調べながら言った。「記録が残ってる。最後に操作されたのは——」彼は少し間を置いた。「四日前だ」
四日前。遙が倒れる、二日前。
汐音は目を閉じた。
あの朝、遙は早く起きていた。珍しいことではない。しかし今思えば、いつもより長く外にいた。燈台の点検だと思っていた。いつもそう言って、夜明けに出ていく人だったから。でも行き先はここだったのかもしれない。床に這いつくばって油を差し、ケーブルの状態を確かめ、装置に何かを伝えるか、あるいは何かを受け取ろうとしていた。
病院へ搬送される前夜、遙は汐音の手を握った。ほとんど言葉を失っていたが、一つだけ聞こえた。
「続けて」
汐音はその時、意味がわからなかった。燈台の管理のことだと思っていた。でも今は——
「汐音」
透真の声が、思考を断ち切った。振り向くと、彼は装置の基部に膝をついて、床に半ば埋まるように設置された小さなパネルを指さしていた。
「これ、見てくれるか」
近づくと、パネルの表面に記号が刻まれていた。彫り込まれたものではなく、擦れて薄くなった文字で、何度も書き直された跡が重なっている。汐音はしゃがんで顔を近づけた。
「読める?」透真が聞く。
「……少し」
これは遙の字だ。独特の、ためらいのない筆致。数字と記号が混ざり合った配列の中に、片仮名がいくつか混じっている。その一つに、汐音は目が止まった。
セ・ノ。
二文字。それだけが、他の記号から少し離れた場所に、まるで名前のように刻まれていた。
「透真」
「なに」
「これ」汐音は指でその文字を示した。「知ってる?」
透真は眉をひそめた。タブレットを操作して、何かのファイルを開く。資料を高速でスクロールしながら、小さく「あった」と言った。
「注釈に、一行だけ。師匠の手書きの書き込みだ——」彼は画面を汐音に向けた。「『セノとは古い星語りで証人を意味する』」
証人。
その言葉が、この空気の重さの中で奇妙な輪郭を持った。三百年前から誰かがここで何かを証明しようとしていて、遙がその仕事を引き継いで、そしてその遙が今、動けなくなった。
そのとき、装置が鳴った。
音というよりは振動だった。床から足の裏へ、骨を通って胸腔まで伝わってくる、深い共鳴。受信体の青い光が強くなり、花弁のような金属板が微かに角度を変え始めた。汐音は反射的に立ち上がった。透真も跳び上がるように立った。
「自発的に——?」透真が呟く。
光のパターンが変わった。一定のリズムから逸脱して、複雑な点滅が始まる。長短の組み合わせ、間隔の変化——汐音はそれを見た瞬間、体の奥で何かが共鳴した。このパターンを知っている。言葉ではなく、皮膚で、耳の奥で知っている。幼い頃から聞いてきた何かに、これは似ていた。
「汐音」透真の声が低くなった。「これ、読めるか?」
汐音は光から目を離せなかった。
長、短、長、長、短——
口の中で、音が形を取り始めた。
「……聞いている」
透真が振り返る。
「何が?」
汐音は首を横に振った。正確な言葉を持っていなかった。ただ光のリズムが、問いかけのような構造をしていた。誰かに向けられた問い。あるいは、ずっと繰り返されてきた呼びかけ。
装置は止まらなかった。
それは三百年の沈黙の後、今この瞬間、まだ誰かを待っていた。