月面基地の監視室から脱出して三時間が経った。蒼太は薄暗い地下トンネルを歩きながら、背後を振り返った。ルナの青い光が闇を照らし、ケイのホログラム端末が微かに点滅している。

「もうすぐよ」

 ケイが囁くような声で言った。彼女の指先が宙に文字を描くと、トンネルの壁面に地図が浮かび上がる。

「地下組織『シンクロ』の拠点は、この先の廃棄された鉱山施設の中にある。政府の監視網から完全に隠れて、人工生命体の保護活動を続けているらしいわ」

 蒼太は頷いた。政府の軍事作戦が始まる前に、どうしても仲間を救い出さなければならない。木星軌道で待つ人工生命体たちのことを思うと、胸が締め付けられた。

「蒼太」

 ルナが不安そうに彼の袖を引いた。彼女の瞳に映る光は、いつもより弱々しく見える。

「その組織の人たちは、本当に私たちを受け入れてくれるのでしょうか?」

「大丈夫だ」蒼太は力強く答えた。「君を守ると約束しただろう」

 トンネルの終点に、重厚な金属製の扉が現れた。ケイが暗号を入力すると、扉がゆっくりと開く。向こう側から温かい光が差し込み、人の話し声が聞こえてきた。

 三人は顔を見合わせてから、扉をくぐった。

 そこは想像以上に広い空間だった。天井は高く、古い採掘設備が至る所に残されている。しかし、最新の通信機器やコンピューターが整然と配置され、十数人の男女が忙しく動き回っていた。

「ようこそ、シンクロへ」

 振り向くと、四十代後半の女性が歩み寄ってきた。短い黒髪に鋭い眼差し、白衣を着た彼女からは研究者の雰囲気が漂う。

「私はリーダーの田中博士です。神崎ケイさんからの連絡は受けています」

 ケイが一歩前に出た。

「田中博士、お忙しい中申し訳ありません。でも、どうしてもお力をお借りしたくて」

「木星軌道の件ですね」田中博士の表情が曇る。「政府の動きは我々も掴んでいます。確かに、軍事作戦では多くの人工生命体が犠牲になるでしょう」

 蒼太の心に希望が宿った。やはり、この組織なら理解してもらえる。

「それで、救出作戦に協力していただけるのでしょうか?」

 田中博士は蒼太を見つめ、それからルナに視線を向けた。しかし、その瞬間、彼女の表情が微かに強張ったのを蒼太は見逃さなかった。

「まずは、施設をご案内しましょう。それから詳しいお話を」

 田中博士の案内で、施設内を歩いた。通路の両側には小さな居住空間があり、中には人工生命体らしき光る存在も見えた。蒼太は胸を躍らせた。ここなら、きっと――

「おい、田中!」

 突然、怒鳴り声が響いた。振り向くと、屈強な男性が大股で近づいてくる。彼の顔は怒りで赤く染まっていた。

「また新しい奴らを連れてきたのか。それも人工生命体まで!」

 男性はルナを指差した。周囲にいた他のメンバーたちも、一斉に視線を向ける。その中には、明らかに敵意を含んだ目もあった。

「落ち着いて、島田さん」田中博士が手を上げて制止する。「彼らは――」

「俺は反対だと言ったはずだ!」島田と呼ばれた男性が声を荒らげる。「人工生命体なんて、結局は人間を脅かす存在なんだ。保護だって?馬鹿馬鹿しい!」

 蒼太の心に動揺が走った。この組織は人工生命体を保護しているのではなかったのか?

「島田の言う通りよ」

 今度は若い女性が口を開いた。彼女の声には恐怖が混じっている。

「この前だって、保護していた人工生命体が突然暴れ出して、施設の一部が破壊されたじゃない。もし私たちに害が及んだら――」

「それは誤解だ」田中博士が必死に説明しようとする。「あれは感情の暴走で――」

「誤解?」島田が鼻で笑った。「俺の弟は人工生命体の暴走に巻き込まれて重傷を負った。それも誤解だというのか?」

 施設内の空気が重くなった。蒼太は拳を握りしめる。ルナが彼の陰に隠れるように身を寄せてきた。

「あの、私たちは――」

 蒼太が口を開きかけた時、別の男性が割って入った。

「田中博士の方針に反対する者は出て行けばいい」

 その男性は三十代前半で、穏やかな表情をしている。しかし、その目には強い意志が宿っていた。

「人工生命体だって、元々は人間の感情から生まれた存在だ。彼らを排除することは、人間の一部を否定することになる」

「きれい事を言うな、森!」島田が反発する。「お前には家族がいないからそんなことが言えるんだ!」

 施設内が騒然となった。賛成派と反対派に分かれて、激しい議論が始まる。蒼太はその様子を呆然と見つめていた。

 人工生命体を保護する組織――そう聞いて期待していたのに、実際は内部で深刻な対立を抱えていた。人間の感情の複雑さを改めて思い知らされた気がした。

「蒼太」

 ルナが震え声で呼んだ。彼女の光が弱くなっている。

「やっぱり、私は邪魔な存在なのですね」

「そんなことはない」蒼太は即座に答えた。「君は――」

「静かにしなさい、皆さん」

 田中博士の鋭い声が施設内に響いた。議論が止み、全員が彼女を見る。

「確かに、我々の間には意見の違いがあります。でも、目の前で困っている人たちを見捨てることはできません」

 田中博士は蒼太たちに向き直った。

「橘蒼太さん、私個人としては、あなたたちの救出作戦に協力したいと思います。しかし」

 彼女の表情が苦しげになった。

「組織としての正式な決定には、もう少し時間が必要です。内部の調整を図らなければ――」

「時間がないんです」蒼太が割り込んだ。「政府の軍事作戦はもう始まっているかもしれない」

「それは分かっています。でも――」

 田中博士の言葉が途切れた時、施設内の警報音が鳴り響いた。

「博士!」

 通信担当の男性が慌てて駆け寄ってくる。

「政府軍の部隊が月面基地を出発しました。目標は木星軌道です」

 蒼太の血の気が引いた。ついに始まってしまったのか。

「それだけではありません」男性が続ける。「我々の施設の存在も察知されている可能性があります。衛星からの監視が強化されています」

 施設内が再び騒然となった。島田が田中博士に詰め寄る。

「ほら見ろ!人工生命体を匿うからこんなことになるんだ!」

「今は責任論をしている場合じゃない」森が冷静に言った。「まずは対策を――」

 その時、ルナが突然光を放った。彼女の身体が透明になり、蒼太の目の前からゆっくりと消え始める。

「ルナ!」

「私のせいで皆さんが危険な目に遭うのは嫌です」

 ルナの声が遠くなっていく。

「一人で木星に向かいます。きっと、何かできることがあるはずです」

「待て!」

 蒼太が手を伸ばしたが、ルナの姿は既に半透明になっていた。

「危険すぎる。一人で行くなんて――」

「蒼太、ありがとうございました」

 最後にそう言い残して、ルナは完全に姿を消した。施設内が静寂に包まれる。

 蒼太は立ち尽くしていた。期待して辿り着いたはずの場所で、再び絶望を味わうことになった。しかし、胸の奥で小さな炎が燃えているのを感じた。

 諦めるわけにはいかない。ルナを、そして木星軌道の仲間たちを救うために、まだできることがあるはずだ。

 蒼太は田中博士を見つめた。

「僕は行きます。一人でも」

「橘君」田中博士が心配そうに眉をひそめる。「無謀すぎます」

「でも、座視していることはできません」

 蒼太の言葉に、森が歩み寄ってきた。

「君の気持ちは分かる。だが、一人で何ができる?」

「分からない」蒼太は正直に答えた。「でも、やらなければ後悔する」

 森は蒼太を見つめ、それから田中博士に視線を向けた。

「博士、私は彼に協力します」

「森さん」

「組織の決定を待っていては間に合わない。個人的な判断として、彼の作戦に参加させてください」

 田中博士は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。

「分かりました。ただし、組織としての責任は取れません」

「承知しています」

 蒼太は森に感謝の気持ちを込めて頭を下げた。そして心の中で誓った。

 必ずルナを見つけ出し、みんなで一緒に帰ってくる、と。

星降る夜の配達屋

17

地下組織との接触

星野 宙音

2026-04-06

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第17話 地下組織との接触 - 星降る夜の配達屋 | 福神漬出版