月面基地の管制室に響く警報音が途切れた瞬間、巨大なメインスクリーンに新たな通信が入った。青い地球を背景に、白いスーツに身を包んだ中年の男性が映し出される。その顔には、有無を言わせない威厳があった。
「宇宙開発庁緊急対策本部の川島です。現在の状況について、詳細な報告を求めます」
蒼太は背筋を伸ばした。政府の正式な介入——これまで民間レベルで対処してきた人工生命体の問題が、ついに国家規模の案件として認識されたということだ。
「橘蒼太です。木星軌道における巨大人工生命体の出現について、これから救助に向かうところでした」
「それは中止してください」川島の声は冷たく響いた。「人工生命体に関する全ての案件は、本日より政府管轄下に移管されます。民間人の独断行動は、これ以上認められません」
ルナが蒼太の袖を軽く引いた。彼女の青い瞳には不安の色が浮かんでいる。ケイは端末を操作しながら、眉をひそめていた。
「しかし、現地では多くの人工生命体が危険にさらされています。一刻の猶予もありません」蒼太は食い下がった。
「その件については、すでに対策を講じています。特殊部隊『オペレーション・コネクト』を編成し、専門的な対処を行います。君たちは月面基地で待機してください」
スクリーンが一時的に切り替わり、宇宙港で待機する巨大な戦闘艇の映像が映し出された。黒い装甲に覆われたその艦体は、まるで宇宙を切り裂く刃のように鋭い。艦首には見慣れない兵器らしきものが搭載されている。
「これは軍事作戦なのですか?」蒼太の声に緊張が混じった。
「人工生命体は未知の存在です。外交的解決が不可能な場合、必要な措置を講じる権限を与えられています」川島の表情は変わらない。「なお、君たちの活動についても詳細な調査を行います。人工生命体との接触記録、技術的データ、そして——」
彼の視線がルナに向けられた。
「その人工生命体についても、保護対象として政府施設への移送を要求します」
蒼太の胸に、氷の塊が落ちたような感覚が走った。ルナを政府に引き渡す——それは彼女を実験対象として扱うことを意味するのではないか。
「それはできません」蒼太は即座に答えた。「ルナは私たちのパートナーです。彼女の意志を無視することはできません」
「君に選択権はありません。これは国家安全保障に関わる問題です」
ケイが立ち上がった。「待ってください。私たちはこれまで人工生命体との共存に向けて努力してきました。彼らは敵ではありません」
「それは君たちの主観にすぎない。客観的な分析と判断が必要です」川島は手元の資料に目を落とした。「特殊部隊は今から6時間後に木星軌道へ到達します。その間、君たちは月面基地内で待機してください。外部との通信も制限されます」
通信が切れた瞬間、管制室に重い沈黙が落ちた。蒼太は拳を握りしめる。政府の介入により、これまで築いてきた全てが水泡に帰すかもしれない。
「ルナ、怖いか?」蒼太は振り返った。
ルナは小さく首を横に振った。「私は、蒼太たちと一緒にいられるなら、どこでも大丈夫」
その言葉が、蒼太の心に深く響いた。彼女は恐怖を感じているはずなのに、それでも仲間を信頼している。その純粋な気持ちを、政府の一方的な判断で踏みにじることなどできるはずがない。
「ケイ、政府の動きをもう少し詳しく調べられるか?」
「すでに調査中。でも、セキュリティが強化されていて、思うように情報が取れない」ケイは歯噛みした。「それより問題は、特殊部隊の装備よ。さっきの映像を解析したけれど、あれは対人工生命体用の特殊兵器を搭載している」
「特殊兵器?」
「感情エネルギーを強制的に分散させる装置。人工生命体にとっては致命的な武器になり得る」ケイの表情は深刻だった。「もし木星軌道の巨大人工生命体に使用されれば、救助どころか——」
彼女は言葉を飲み込んだが、蒼太には意味が理解できた。それは救助ではなく、殲滅作戦だった。
管制室のドアが開き、月面基地の職員が入ってきた。その表情は申し訳なさそうで、手には拘束用のデバイスを持っている。
「申し訳ありません。政府からの直接命令です。皆さんには居住区画で待機していただきます」
蒼太は立ち上がった。「分かりました。従います」
しかし、その心の奥では、別の計画が形作られ始めていた。木星軌道の人工生命体たちを見捨てることはできない。ルナを政府の実験材料にすることも許せない。
居住区画へ向かう廊下で、蒼太はケイとルナに小さな声で話しかけた。
「二人とも、準備はいいか?」
「何の準備?」ケイが眉を上げた。
「脱出の準備だ。このまま政府に全てを委ねるわけにはいかない」
ルナの瞳が輝いた。「私も、木星の皆を助けたい」
ケイは苦笑した。「相変わらず無茶をするのね。でも——私たちのチームだものね」
三人は視線を交わし、無言で頷いた。政府の監視下に置かれても、彼らの絆は断ち切れるものではない。
居住区画に到着すると、職員は丁寧にドアを施錠した。部屋の中央には政府からの正式な文書が置かれている。人工生命体保護法案の緊急制定、特殊部隊の権限、そして民間人の活動制限——全てが法的根拠を持って彼らの行動を封じようとしていた。
しかし、蒼太は諦めなかった。窓の向こうに見える宇宙港では、自分たちの配達船『ステラ・ウィング』が静かに待機している。
夜が更け、基地内が静寂に包まれた頃、蒼太たちの本当の戦いが始まろうとしていた。