魔王城の正門前で、一行は足を止めた。賢一が仲間に加わったことで、颯太の心は軽やかになっていたが、同時に一つの疑問が胸の奥に引っかかっていた。
「あの魔王様、本当に悪い人だったのでしょうか」
リリアが振り返りながら呟く。その言葉に、颯太も同じことを考えていたことに気づいた。
「確かに……賢一さんを助けてくださったし、最後は笑顔で見送ってくれた」
颯太の言葉に、グランドが低く唸った。
「わしも気になっておった。あの者の瞳には、深い悲しみが宿っていた。まるで、大きな傷を負った者の目じゃった」
アーサーが剣の柄を握りながら考え込んだ。
「魔王と呼ばれる者が、なぜあのような優しさを見せるのか。確かに不可解だ」
賢一が小さく首を振った。
「僕も……呪いにかかっていた間の記憶は曖昧ですが、あの方が僕を傷つけたことは一度もありませんでした。むしろ、僕の苦しみを理解してくださっているような……」
その時、背後から静かな声が響いた。
「戻ってきてくれたのですね」
振り返ると、黒いローブを纏った魔王が城の影から現れていた。その表情は先ほどよりも穏やかで、どこか安堵したような色を浮かべている。
「魔王様……」
颯太が驚く中、魔王は静かに歩み寄った。
「皆さんの会話が聞こえました。私について疑問をお持ちのようですね」
魔王は深く息を吸い、ローブのフードを静かに下ろした。現れた顔は意外にも若々しく、整った容貌をしていたが、その瞳には深い疲労と悲しみが刻まれていた。
「私の正体を……お話ししましょう」
魔王は城の庭にある石のベンチに腰を下ろし、遠い目をして語り始めた。
「私の名前はエドワード・ヴェルディアン。かつて、この大陸の北部にあったヴェルディアン王国の……最後の王でした」
一同は息を呑んだ。魔王が、元は王様だったなど想像もしていなかった。
「ヴェルディアン王国は、料理と食文化を何より大切にする国でした。私自身も料理を愛し、民と共に食卓を囲むことを喜びとしていました」
エドワードの瞳に、かすかな温かさが宿った。
「毎月一度、王宮で『民との晩餐会』を開いていました。身分に関係なく、誰でも参加できる宴でした。私は厨房に立ち、民のために料理を作ることに心から喜びを感じていたのです」
颯太の心臓が高鳴った。料理を愛する王……それは颯太自身が目指していた理想の料理人の姿でもあった。
「しかし……」
エドワードの表情が急に曇った。
「ある年の冬、王国に疫病が蔓延しました。私は最高の医師たちを呼び集め、あらゆる治療法を試しました。そして……食事からでも人々を癒したいと考え、薬草を使った特別な料理を作ったのです」
エドワードの手が震えているのを、颯太は見逃さなかった。
「その料理は確かに一時的に症状を和らげました。人々は喜び、私も希望を抱きました。しかし……それは間違いでした」
声が震え始めた。
「薬草の組み合わせが悪かったのか、それとも疫病との相互作用だったのか……私の作った料理を食べた人々が、次々と倒れていったのです」
リリアが手を口元に当てて息を呑んだ。
「一晩で……王国の人口の半分を失いました。妻も、息子も、信頼する家臣たちも……私の料理を信じて食べてくれた人々が、皆……」
エドワードの瞳から涙が溢れ始めた。
「生き残った民たちは私を『死の料理人』『殺戮王』と呼び、国を捨てて逃げていきました。私は……愛する料理で、愛する人々を殺してしまったのです」
颯太の胸が締め付けられた。料理人として、これ以上の絶望があるだろうか。
「その絶望と憎しみが、私を闇に引きずり込みました。料理への愛が憎悪に変わり、人々への慈悲が復讐心に変わりました。そして気がついた時には……魔王と呼ばれる存在になっていたのです」
沈黙が辺りを包んだ。風が木々を揺らす音だけが響いている。
「でも……」
颯太が震え声で口を開いた。
「魔王様は、僕たちに料理を作らせてくださった。賢一さんを助ける料理を」
エドワードが颯太を見つめた。
「あなたたちの料理を見ていて……忘れかけていたものを思い出したのです。料理の本当の力を。人を癒し、心を繋ぐ料理の素晴らしさを」
エドワードは立ち上がり、颯太の前に歩み寄った。
「特に、颯太さん。あなたの料理には、かつての私が目指していた『愛』がありました。失敗を恐れず、ただ人を幸せにしたいという純粋な想いが」
「魔王様……」
「もう魔王ではありません」
エドワードは静かに微笑んだ。
「あなたたちのおかげで、私は本来の自分を取り戻すことができました。エドワード・ヴェルディアン……料理を愛した、一人の男として」
グランドが深く頷いた。
「過去の過ちに囚われ続けることはない。大切なのは、これからどう生きるかじゃ」
リリアも涙を浮かべながら言った。
「エドワード様の料理への愛は、きっと本物だったのです。だからこそ、今でも料理の力を信じることができたのです」
エドワードの瞳に、長い間見ることのなかった希望の光が宿り始めた。しかし同時に、颯太の心には新たな不安が芽生えていた。エドワードのように、料理で人を傷つけてしまう可能性は、自分にもあるのではないか……。
「颯太さん」
エドワードが颯太の心の動きを察したかのように声をかけた。
「私の話で、あなたを不安にさせてしまったかもしれません。でも覚えておいてください。料理は確かに危険な力も持っています。しかし、それ以上に大きな愛と希望をもたらすことができるのです」
夕日が城の向こうに沈み始め、辺りがオレンジ色に染まった。エドワードは遠くの空を見上げながら、最後にこう呟いた。
「私は……この城で、もう一度料理と向き合ってみようと思います。今度は正しい道を歩むために」
その言葉に、颯太は深い感銘を受けた。そして同時に、自分自身の料理人としての在り方について、改めて考えさせられるのだった。