魔王の玉座の間に響く静寂を破ったのは、賢一の苦悶に満ちたうめき声だった。
「うぐ……あ、あああああ!」
賢一が胸を押さえて膝をつく。機械の腕が震え、顔が青白くなっていく。颯太は慌てて彼の側に駆け寄った。
「賢一! どうした?」
「これは……呪いの発作だな」
魔王が興味深そうに呟く。その声に冷たさはなく、むしろ困惑したような響きがあった。
「呪い?」
「そうだ、料理人よ。この者は元々我が軍の料理人ではない。呪いによって操られていただけなのだ」
颯太の脳裏に、賢一との最初の再会の光景が蘇る。あの時の賢一の表情には確かに違和感があった。まるで別人のような冷たさ、そして時折見せる苦しげな表情。
「呪いを解く方法はあるのか?」
「ある。だが……」魔王は重々しく首を振った。「呪いを解くには、対象者の心の奥底に眠る『真の想い』を呼び覚まさねばならない。それは並大抵のことではない」
颯太は賢一を見つめた。苦痛に顔を歪める後輩の姿に、胸が締め付けられる。事故で右腕を失い、さらに呪いまでかけられて……。
「やらせてくれ」
「颯太……」
リリアが心配そうに声をかけるが、颯太の決意は揺らがない。
「賢一は俺の後輩だ。料理人として、先輩として、俺が何とかする」
魔王が立ち上がった。
「面白い。では試してみるがいい。ただし条件がある。日が沈むまでに呪いを解けなければ、お前たちもまた呪いの餌食となる」
颯太は頷いた。振り返ると、リリアとグランド、アーサーが不安そうな表情を浮かべている。
「みんな、力を貸してくれ」
「当然だ」グランドが力強く答える。「我らは仲間ではないか」
「私たちも手伝うわ」リリアが魔法の杖を握りしめた。
颯太は厨房へと向かった。魔王城の厨房は広く、様々な食材が揃っている。しかし今必要なのは特別な食材ではない。賢一の心に響く、特別な料理だ。
「賢一の『真の想い』って何だろう」
颯太は記憶を辿る。研修生時代の賢一は明るく、料理に対して真摯だった。特に得意だったのは……
「そうか」
颯太の顔に確信の光が宿る。賢一が最も得意としていたのは、デザートだった。特にプリンには並々ならぬこだわりを持っていた。
「リリア、火加減の調整を頼む。グランド、材料の準備を。アーサーは賢一を支えていてくれ」
皆が持ち場につく。颯太は慎重に材料を選び始めた。卵、牛乳、砂糖、バニラ。シンプルな材料だが、だからこそ技術と心が試される。
呪いに苦しむ賢一を横目に、颯太は丁寧に卵を割る。黄身だけを使い、牛乳と砂糖を加えて混ぜ合わせる。リリアの魔法で火力を細かく調整しながら、カラメルソースを作っていく。
「颯太……さん……」
賢一が苦しそうに呟く。その声に、わずかに昔の温かさが混じっているのを颯太は聞き逃さなかった。
「賢一、覚えているか? お前が初めて作ったプリンのこと」
「プ……リン?」
「あの時、お前は三回も失敗した。でも諦めなかった。四回目でようやく成功した時、お前の顔は本当に嬉しそうだった」
颯太の手は迷いなく動く。蒸し器の温度、蒸し時間、全てが完璧でなければならない。これは単なるプリンではない。賢一の魂を呼び戻すための、最も大切な料理だ。
「『いつか、世界一美味しいプリンを作りたい』って、お前はそう言っていたな」
賢一の体が小刻みに震える。呪いが抵抗しているのだ。
「その時のお前の目は、本当にキラキラしていた。料理が大好きで、お客さんを喜ばせたくて、ただそれだけを考えていた」
プリンが蒸し上がる。颯太は慎重に取り出し、冷ましてから皿に盛り付けた。最後にカラメルソースを丁寧にかける。
「賢一、これを食べてくれ」
颯太は震える賢一の前にプリンを差し出した。機械の腕では上手く食べられないため、颯太がスプーンで掬って口に運ぶ。
一口、二口。賢一の表情が変わり始める。
「これは……」
三口目を食べた時、賢一の目に涙が浮かんだ。
「これは……俺が、俺が作りたかった……」
「そうだ。お前の夢だったプリンだ」
賢一の体を包む黒いオーラが揺らぎ始める。呪いが弱くなっているのだ。
「颯太……さん……俺は……俺は何を……」
「大丈夫だ。今まで辛かっただろう。でももう大丈夫だ」
プリンを完食した賢一の体から、黒いオーラが完全に消えた。呪いが解けたのだ。賢一は颯太を見つめ、涙を流しながら笑った。
「ありがとう……ございます。俺を、俺を取り戻してくれて……」
「ほう」
魔王が感心したような声を上げる。
「見事だ、料理人よ。呪いを解くとは。この者を連れて行くがいい」
「魔王……あなたは一体……」
「それはまた別の機会に話そう。今は仲間を得たことを素直に喜ぶがいい」
颯太は賢一を支えて立ち上がらせた。リリア、グランド、アーサーも安堵の表情を浮かべている。
「賢一、一緒に来てくれるか? 青嵐食堂で、一緒に料理を作ろう」
賢一は機械の腕を見つめ、そして颯太を見た。
「はい。俺にできることがあるなら……喜んで」
新たな仲間を得た一行は、魔王城を後にした。しかし颯太の心には、魔王の最後の言葉が引っかかっていた。あの魔王には何か深い事情がありそうだった。
そして、アルカディア大陸にはまだまだ多くの謎が残されているのだ。