夕暮れの光が青嵐食堂の窓を橙色に染める頃、颯太は一人厨房で仕込みの続きをしていた。今日も現代世界から何人かの客が訪れ、異世界の仲間たちとの二重生活は相変わらず慌ただしかったが、少しずつ要領を得てきた気がする。
扉の向こうから足音が聞こえ、颯太は顔を上げた。しかし現れたのは期待していたリリアやグランドではなく、アーサーだった。いつもの凛々しい表情とは打って変わって、どこか疲れた様子で、肩を落として座り込む。
「アーサー? どうしたんだ、そんな顔して」
颯太が心配そうに声をかけると、アーサーは重いため息をついた。
「颯太…すまない、こんな時間に」
「いや、全然構わないよ。何かあったのか?」
颯太は手を洗い、エプロンを外してアーサーの向かいに座った。聖騎士としての威厳を常に保っている彼が、こんなに弱々しい表情を見せるのは初めてだった。
「実は…任務で失敗をしてしまった」アーサーは拳を握りしめる。「村を襲う魔獣を討伐する任務だったのだが、私の判断ミスで村人を危険にさらしてしまった。幸い大きな被害はなかったものの、もし一歩間違えていたら…」
アーサーの声は震えていた。颯太は黙って話を聞く。
「聖騎士として、正義の名の下に戦ってきた。完璧でなければならない、弱音を吐いてはならないと自分に言い聞かせてきた。だが今回の件で、自分の未熟さを思い知らされた」
アーサーは顔を覆った。その肩は小刻みに震えている。
「私は…私は本当に聖騎士の名に値するのだろうか」
颯太はアーサーの苦悩を見つめながら、自分自身の過去を思い返していた。料理コンテストでの惨敗、自信の喪失、逃げ出すようにして故郷に戻った日々。アーサーの表情に、あの頃の自分の姿が重なって見えた。
「アーサー、少し待ってくれ」
颯太は立ち上がり、厨房に向かった。手慣れた様子で材料を取り出し、コンロに火を入れる。玉ねぎを刻む音が静寂を破った。
「何を作っているんだ?」アーサーが顔を上げる。
「オムライス。俺が一番最初に覚えた料理なんだ」颯太は玉ねぎを炒めながら答えた。「子供の頃、母が病気で寝込んだ時、何か作ってあげたくて必死に覚えたんだ」
バターの香ばしい匂いが店内に漂い始める。颯太はご飯を加え、ケチャップで味付けをしていく。その手つきは迷いがなく、まるで心を込めるように丁寧だった。
「でも最初は酷いものだったよ。ご飯は焦げるし、卵は破れるし」颯太は苦笑いを浮かべる。「母は『美味しい』って言ってくれたけど、きっと気を使ってくれただけだと思う」
卵液をフライパンに流し入れ、手早くかき混ぜる。半熟の卵が美しい黄金色に輝く。
「俺も完璧主義だった。料理コンテストで負けた時、自分の料理が否定されたような気がして立ち直れなくなった。プライドがあったから、失敗を受け入れられなかった」
颯太はオムライスを皿に盛り、ケチャップでハートを描く。その手は微かに震えていた。
「でも、ここに来て分かったんだ。完璧である必要なんてない。大切なのは、失敗から学んで、次に繋げること。そして何より、誰かのために料理をする気持ちを忘れないことなんだ」
颯太はオムライスをアーサーの前に置いた。湯気が立ち上り、優しい香りが二人を包む。
「アーサー、君は失敗を恐れるあまり、自分を追い詰めすぎている。でも失敗したからこそ見えることもある。君が村人を思う気持ちは本物だし、それこそが聖騎士として一番大切なことなんじゃないか?」
アーサーはオムライスを見つめ、ゆっくりとスプーンを取った。一口食べると、その表情が和らいだ。
「これは…なんて優しい味なんだ」
「母の味を再現しようとして、何年もかけて完成させた料理なんだ。でも今思えば、最初の焦がしたオムライスも、きっと母には本当に美味しかったんだと思う。下手でも、心を込めて作ったものだから」
アーサーは黙々と食べ続けた。その目には涙が浮かんでいる。
「颯太、君も辛い経験をしてきたのだな」
「ああ、でもその経験があったから、今の俺がある。君の失敗も、きっと君を強くしてくれる」
アーサーはオムライスを食べ終えると、深く頭を下げた。
「ありがとう。君の言葉で少し気持ちが軽くなった。完璧でなくても、誠実に向き合い続けることが大切なのだな」
「そうだよ。それに、君には仲間がいる。一人で抱え込まないで、時にはこうして話を聞かせてくれ」
アーサーは力強くうなずいた。その表情には、以前の凛々しさとは違う、人間らしい温かみが宿っていた。
その時、扉が開いて咲良が顔を覗かせた。
「お兄ちゃん、お疲れさま。あ、アーサーさんもいらっしゃったんですね」
「咲良、今帰ったのか」
「はい。夕食の買い物に行ってたんです」咲良は二人の様子を見て、何かを察したようだった。「お二人とも、なんだか良い表情をされてますね」
颯太とアーサーは顔を見合わせて笑った。
「少し心の整理ができたんだ」アーサーが答える。
「それは良かったです。アーサーさん、よろしければ今度、現代世界の料理も教わってみませんか? お兄ちゃんの得意料理、まだまだたくさんありますよ」
「それは是非お願いしたい」アーサーの目が輝く。
三人が談笑していると、扉の向こうからリリアの声が聞こえた。
「颯太さん、今日は何か美味しそうな匂いがしますね」
「あ、リリア。ちょうど良いところに」颯太が振り返ると、リリアの後ろにグランドの巨大な影が見えた。
「我も腹が減った。颯太よ、何か作ってくれぬか」
颯太は苦笑いを浮かべる。「分かったよ。みんなでオムライスを食べよう」
しかし、厨房に向かおうとした時、店の正面扉にベルの音が響いた。現代世界からの客だった。颯太の顔が青ざめる。
「あの、すみません。まだ営業してますか?」
扉の向こうから聞こえる声に、一同は固まった。グランドの巨体をどうやって隠せというのか。アーサーの鎧もかなり目立つ。
「あ、あの…」颯太が慌てふためいていると、咲良が冷静に対応した。
「申し訳ございません。本日の営業は終了いたしました。明日の11時から営業しておりますので、よろしければまたお越しください」
「そうですか。分かりました、また明日来ます」
足音が遠ざかっていく。一同はほっと胸を撫で下ろした。
「咲良、助かった」
「でも、この状況はだんだん厳しくなってきますね」咲良が心配そうにつぶやく。「現代のお客様と異世界の皆さん、どちらも大切にしたいですけど…」
アーサーが立ち上がった。「颯太、我々も何か協力できることはないか? 君一人に負担をかけるわけにはいかない」
「そうですね」リリアも頷く。「私たち、現代世界のことをもっと勉強するべきかもしれません」
グランドも同意するように鼻を鳴らした。「我も人間の姿になる魔法を覚えるか」
颯太は仲間たちの優しさに胸が熱くなった。一人で抱え込んでいた問題を、みんなで解決しようとしてくれている。
「ありがとう、みんな。でも、まずはゆっくり考えよう。今日はアーサーの話を聞けて良かった。お互いの気持ちを分かち合うことって、本当に大切なんだな」
夜の帳が下りる中、青嵐食堂には温かい光が灯っていた。異なる世界の住人たちが一つの食卓を囲み、心を通わせている。
しかし、翌朝早く、思わぬ来客が店を訪れることになる。それは颯太にとって、避けては通れない過去との対峙を意味していた。