白石会長との面談は、思いのほか穏やかに終わった。
「君の料理に対する真摯な姿勢を感じました。東京美食評論会として、今後の活動を見守らせていただきたい」
そう言って白石会長は帰っていったが、颯太の心は複雑だった。異世界の客たちとの交流を知られているわけではないが、何か勘づかれているような気がしてならない。
「お兄ちゃん、大丈夫? 顔が青いよ」
咲良が心配そうに覗き込んできた。カウンター越しに振り返ると、奥の扉の向こうからリリアとグランドが心配そうにこちらを見ている。
「ああ、大丈夫だ。ただ、これからもっと気をつけないといけないな」
颯太がそう呟いた時、店の入り口のベルが軽やかに鳴った。
「いらっしゃいませ!」
咲良が元気よく声をかけると、入ってきたのは七十代ほどの上品な女性だった。グレーの髪を綺麗にまとめ、落ち着いた色合いのカーディガンを着ている。
「こんにちは。こちら、新しく開店された食堂ですよね? 近所の田中と申します」
「はい! 青嵐食堂です。ありがとうございます」
颯太は慌てて厨房から出てきた。現代世界の、それも近所の方が来店するのは初めてのことだった。
「どうぞ、こちらのお席へ」
咲良が田中さんを手前のテーブル席に案内する。その時、奥の扉からリリアが顔を覗かせた。颯太は慌てて手を振って合図を送る。
「あの、メニューはこちらになります」
颯太は手書きのメニューを差し出しながら、心の中で焦っていた。異世界の客たちには気づかれないようにしなければならない。
「まあ、手書きなのね。温かみがあって素敵」田中さんは眼鏡をかけ直してメニューを眺めた。「こちらの『本日のおすすめスープ』というのは?」
「えっと、それは…」
颯太は困った。昨日リリアと一緒に作った魔法きのこのスープは、さすがに一般の方には出せない。魔力の効果がどう影響するか分からないからだ。
「申し訳ございません。今日はちょっと材料の都合で…。代わりに、手作りハンバーグ定食はいかがでしょうか?」
「あら、それも美味しそうね。お願いします」
田中さんが注文を終えると、颯太は厨房に戻った。すると、奥の扉からグランドの大きな影が現れた。
「颯太よ、腹が減った。例の魔法きのこのスープはあるか?」
「グランド! 今は…」
颯太が慌てて振り返ると、田中さんがきょろきょろと辺りを見回している。幸い、グランドの姿は奥の暗がりで見えていないようだった。
「すみません、何か?」咲良が気を利かせて声をかける。
「いえ、なんだか大きな影が見えたような気がして…」
「ああ、それは配送業者の方かもしれません。裏口から食材を運び込んでいるので」
颯太は冷や汗をかきながらハンバーグの準備を始めた。同時に、奥に向かって小声で呼びかける。
「グランド、リリア、ちょっと現代のお客様がいらしてるから、少し待っててもらえる?」
「現代の客?」リリアが興味深そうに顔を覗かせる。「どんな人なの?」
「近所のおばあさまだよ。でも、君たちの存在は秘密にしないといけないんだ」
颯太は手早くハンバーグを捏ね、フライパンで焼き始める。その香りが店内に漂うと、田中さんが嬉しそうに微笑んだ。
「いい匂いね。主人を亡くしてから、こういう家庭的な料理を食べる機会が減ってしまって」
その言葉に、颯太の胸が温かくなった。料理は人を幸せにする。それは異世界でも現代でも変わらない真実だった。
ハンバーグが焼き上がると、颯太は特製のデミグラスソースをかけ、色とりどりの野菜と一緒に盛り付けた。味噌汁と小鉢、漬物も添えて定食の完成だ。
「お待たせいたしました」
「まあ、綺麗に盛り付けてあって。いただきます」
田中さんがハンバーグを一口食べると、表情がぱっと明るくなった。
「美味しい! お肉がとてもジューシーで、ソースも深い味わいね。どちらかで修行されたの?」
「ありがとうございます。以前は都心のレストランにいました」
颯太が答えていると、奥からコソコソと話し声が聞こえてくる。グランドとリリアが何やら相談しているようだった。
「颯太殿」突然、アーサーの声が響いた。「今日の稽古の時間だが…」
颯太は真っ青になった。アーサーは声が大きいのだ。
「あの、すみません! テレビの音量が…」
咲良が慌ててリモコンを手に取り、適当にテレビをつける。幸い、時代劇が始まったところで、武士の声がアーサーの発言をごまかしてくれた。
「時代劇がお好きなのね」田中さんが微笑む。
「ええ、まあ…」
颯太は額の汗を拭いながら、なんとか対応を続けた。しかし、状況はさらに複雑になっていく。
田中さんがハンバーグを半分ほど食べた頃、店の奥から甘い香りが漂ってきた。リリアが何か魔法の実験をしているのだろう。
「あら、デザートも作っていらっしゃるの? とてもいい香り」
「あ、はい。試作中でして…」
その時、グランドの大きなくしゃみが響いた。
「ハックション!」
店全体が少し揺れるような大きな音だった。田中さんが驚いて振り返る。
「まあ、随分大きなくしゃみね」
「あ、あはは…店長の花粉症がひどくて」颯太は苦し紛れに笑った。
そんな綱渡りのような状況が続く中、不思議なことが起こった。田中さんの表情がだんだん穏やかになり、どこか懐かしそうな笑顔を浮かべるようになったのだ。
「このお店、なんだか不思議ね」田中さんがハンバーグを食べ終えて言った。「昔、主人と一緒に小さな旅館を経営していた頃を思い出すわ。毎日がバタバタで大変だったけど、温かい人たちに囲まれて幸せだった」
颯太は胸が熱くなった。料理の持つ力、そして人と人とのつながりの温かさを改めて感じていた。
「お会計は八百円になります」
「ありがとう。とても美味しかったわ。また来させていただくわね」
田中さんが帰っていくと、颯太はほっと息をついた。その瞬間、奥の扉からリリア、グランド、アーサーが顔を出した。
「颯太、お疲れさま!」リリアが笑顔で駆け寄ってくる。
「大変だったな。しかし、あの女性からも良い香りがしていた」グランドが感心したように言う。
「香り?」
「人の心の香りだ。寂しさもあったが、温かい思い出と優しさに満ちていた」
アーサーも頷いた。「あのような方にも、颯太殿の料理は喜びを与えているのだな」
「そうか…」颯太は窓の外を見つめた。田中さんの後ろ姿がだんだん小さくなっていく。
「お兄ちゃん、すごかったよ! あんなに慌ててるのに、ちゃんと美味しい料理を作って、お客様を笑顔にしちゃうんだから」
咲良の言葉に、颯太は微笑んだ。確かに今日は大変だった。でも、同時に充実感もあった。現代の人にも、異世界の仲間たちにも、同じように料理を通じて幸せを届けることができる。
「これから大変になりそうだな」颯太が呟くと、リリアが首を傾げた。
「大変って?」
「両方の世界のお客様を同時にお迎えするのは、想像以上に難しい。でも…」颯太は仲間たちを見回した。「みんながいてくれるから、きっと大丈夫だ」
その時、再び入り口のベルが鳴った。振り返ると、今度は若い会社員風の男性が立っている。
「あの、ランチメニューってありますか?」
颯太と異世界の仲間たちは顔を見合わせた。新しい挑戦の始まりだった。