死者の言葉を代わりに書く、という商売がある。
男の名刺には「代筆屋」とだけ印刷されていた。依頼は決まって同じだ。遺された者が、死んだ肉親や恋人に「もし生きていたら何を言っただろうか」を知りたがる。男はその人物の日記や手紙を読み込み、語り口を学び、代わりに言葉を紡ぐ。
その夜の依頼人は若い女だった。
「夫が三ヶ月前に死にました」と彼女は言った。「遺書がなかったんです」
男は夫が書いたものをひと通り預かった。几帳面な字で埋まったスケジュール帳。仕事の企画書。妻への短いメモが二枚。男はそれらを一晩かけて読んだ。
翌朝、男は一通の手紙を書き上げた。
几帳面な夫が書きそうな言葉を選んだ。「君のそばにいられて幸せだった」ではなく「君に手間をかけさせた」という言い回し。謝罪より感謝を先に書く癖。句読点の打ち方まで真似た。
女は手紙を受け取ると、その場で読んだ。目が濡れた。
「そうです」と彼女はつぶやいた。「こういう人でした」
男は黙って茶を飲んだ。この沈黙も仕事のうちだ。
「ひとつだけ聞いてもいいですか」
女が顔を上げた。目の縁がまだ赤い。
「なぜ、夫が死んだと思いますか」
奇妙な質問だった。男は預かった資料を思い返した。スケジュール帳の最後のページ。几帳面な字で予定が書き込まれていたが、死んだ日の欄だけ、何も書かれていなかった。企画書には三ヶ月先の締め切りが記されていた。妻へのメモには、翌週の夕食の約束があった。
「わかりません」と男は答えた。「資料からは、死ぬ理由が見当たらなかった」
女はかすかに微笑んだ。
「正直な方ね」
彼女は立ち上がり、コートを羽織った。ドアへ向かいながら、振り返らずに言った。
「夫の字は、とても上手に再現できていました」
男は礼を言おうとして、止まった。
几帳面な字。男はその言葉を反芻した。依頼人が最初にそう言ったわけではない。資料を読んで、男自身がそう判断したのだ。だが待て。企画書は印刷物だった。メモは殴り書きに近かった。字の癖を学ぶほど、手書きの資料があっただろうか。
スケジュール帳の最後のページ。死んだ日の欄だけ空白。
男はゆっくりと、もう一度その事実を並べた。
死の直前まで予定を入れていた男が、なぜ死んだのか。遺書がなかった。しかし今、遺書がある。男が書いた、夫の字に似た遺書が。
ドアが静かに閉まった。