男が死んだのは、新幹線の中だった。
正確には、死んだとわかったのが車内だった、というべきか。
田所は窓際の席に座り、缶コーヒーを一口飲んだ。隣の席の男は、乗り込んだときからずっと目を閉じている。毛布を顎まで引き上げ、リクライニングをいっぱいに倒して。
最初に気づいたのは、匂いだった。
甘ったるく、少し腐ったような。田所は鼻をひそめ、窓の外を見た。車窓に映る自分の顔が、こわばっている。
次に気づいたのは、色だった。
毛布からはみ出た男の手が、どす黒い。爪の先まで変色している。田所は視線を逸らし、膝の上のバッグを引き寄せた。バッグの中には、六百万円が入っていた。
東京まであと二時間。
田所は車掌を呼ぶべきか迷い、やめた。騒ぎになれば、バッグを調べられるかもしれない。横領した金だ。説明できない。
「……見て見ぬふりか」
声がした。
振り返ると、通路を挟んだ席に、スーツ姿の女が座っていた。ノートパソコンを開いたまま、こちらを見ている。いつからいたのか、まるで気づかなかった。
「そんな顔しないで。私も同じよ」
女は静かに言った。「三十分前から気づいてた。でも何もしなかった」
田所は黙った。
「あなた、何か隠してるでしょう」
心臓が跳ねた。女の目が、まっすぐ向けられている。
「隠してるって、何を」
「さあ」女は微笑んだ。「でも、そういう顔をしてる人を、私はよく知ってるの」
田所はバッグの留め具を確認した。ちゃんと閉まっている。
「私は警察よ」
女がノートパソコンを閉じた。「非番でね。でも、職業病ってやつ。気になったら放っておけない」
田所の額に汗が浮いた。隣の死体。バッグの中の金。どちらが先に問題になるか。
「正直に言えば、話は簡単よ」女が立ち上がった。「隣の方のことは、私が対応する。あなたは何も知らなかった、でいい」
田所は唾を飲んだ。「……本当に」
「ええ」
女は通路に出て、男の席の傍らに立った。毛布をわずかに持ち上げ、男の首筋に指を当てる。一秒、二秒。
「やっぱり。では、車掌を呼んできます」
女が車両の端へ歩いていく。
田所は深く息を吐いた。助かった。警察に余計なことを嗅ぎ回られなかった。これで東京まで乗り切れる。
女は、なかなか戻ってこなかった。
五分が経ち、十分が経った。車掌が来る気配もない。
田所は立ち上がり、女が消えた方向へ歩いた。
デッキに出る。誰もいない。
次の車両を覗く。女の姿はない。
嫌な予感とともに、田所は席へ戻った。
バッグが、なかった。