幸福度テストは、毎朝七時に実施される。満点は百点。合格ラインは九十点だ。
田村は今日も九十四点だった。隣の席の同僚、木下は九十七点。田村は小さく舌打ちした。
「また負けたな」
木下が笑いかけてくる。その笑顔は本当に幸福そうだった。だから田村は余計に腹が立った。
テストの内容は単純だ。端末の画面に「あなたは幸せですか」と表示され、一から百の数字を入力するだけ。政府が導入して三年が経つ。九十点を下回った市民は、再教育センターへ送られる。
センターから帰ってきた者を、田村は一人も知らない。
昼休み、田村は屋上で弁当を食べた。空は白く濁っていた。雲なのか煙なのか、最近は区別がつかない。妻が握ったおにぎりを口に運びながら、田村は昨夜のことを思い出した。妻が泣いていた。何度も何度も、声を殺して。理由は聞かなかった。聞けば自分まで感染すると思ったから。
今朝の妻のスコアは九十一点だった。
午後、上司に呼ばれた。
「田村くん、最近スコアが伸び悩んでいるね」
「努力しております」
「九十四点というのは、正直、心配なラインだよ。もっと幸せになりなさい」
上司のスコアは昨日、九十九点だった。
帰り道、田村は薬局に寄った。三ヶ月前から、こっそり飲み続けている薬だ。感情を安定させる、と説明書きにある。正確には、感情を底上げする薬だ。飲むと、何もかもが少しだけ明るく見える。悲しいことも腹立たしいことも、靄がかかったように遠ざかる。
副作用に「長期服用で感情の平坦化が生じる場合があります」と書いてあったが、田村は気にしなかった。
家に帰ると、妻が笑顔で出迎えた。
「おかえり」
「ただいま」
その笑顔が昨夜の泣き顔と重なって、田村は胸が痛んだ。いや、痛んだと思った。実際には何も感じなかったかもしれない。最近、自分の内側がよくわからない。
夕食のあと、妻が静かに言った。
「ねえ、私のスコア、下がってきてる」
「わかってる」
「センターに行きたくない」
「わかってる」
田村は妻の手を取った。温かかった。あるいは、温かいと判断した。
「明日から薬を飲め。俺が使ってるやつ。効くから」
妻は少し黙ってから、頷いた。
翌朝七時、二人並んで端末に向かった。画面に問いが浮かぶ。
田村は迷わず九十五と打ち込んだ。
妻の画面を横目で見ると、九十三と表示されていた。昨日より上がっている。田村は安堵した。あるいは、安堵したと判断した。
木下が声をかけてきた。
「田村さん、今日は上がりましたね。九十五点、すごい」
「ああ」
「幸せって、努力ですよね」
田村は頷いた。
その日の昼、屋上で空を見上げると、また白く濁っていた。おにぎりを食べながら、ふと思った。自分はいつから、泣き方を忘れたのだろう。
端末が鳴った。政府からの通知だった。
『来月より、幸福度テストの合格ラインを九十五点に引き上げます』