彼女の消しゴムは、いつも真っ白だった。

 クラスメートの消しゴムが使い込まれて角の丸くなる三年間を、隣の席の田中凛の消しゴムだけが、買ったばかりのような白さを保っていた。

「凛、ノート見せて」

「いいよ」

 彼女のノートはいつも几帳面で、間違いがなかった。消した跡すらなかった。俺は密かに、彼女のことを完璧な人間だと思っていた。

 高校最後の夏、俺は告白することにした。三年越しの、長い逡巡の末に。

 屋上への扉が開いた瞬間、彼女は先にそこにいた。フェンスに背を預け、空を見上げていた。

「来ると思ってた」

 凛は振り向きもせずに言った。

「え」

「なんとなく、ね」

 彼女の横顔は笑っていた。俺は用意していた言葉を全部忘れた。

「俺、ずっと好きだった」

「知ってる」

「なんで」

「だってあなた、ずっと私の消しゴムばかり見てたもの」

 俺は耳まで熱くなった。消しゴムを見ていたのは本当だった。三年間、あの白さが気になって仕方なかった。

「あの消しゴム、なんで汚れないの」

「使わないから」

「間違えないってこと?」

 凛はようやくこちらを向いた。

「間違えたら、ちぎって捨てるの」

 一瞬、意味がわからなかった。

「紙を」と、彼女は続けた。「間違えたページごと、ノートから切り取る。そしたら消しゴムいらないでしょ」

 俺は屋上の床を見た。プールの方から水の音がした。告白を決めてから今日まで、何度もこの屋上を想像した。うまくいく場面も、断られる場面も、等しく頭の中で繰り返した。

「それって、」

 言葉が出なかった。

「怖くないの」と、俺は聞いた。「消せない、って」

「怖いよ」

 凛は静かに答えた。

「でも消したって、間違えた事実は残るから」

 空が広かった。彼女の目が細くなった。

「それで、答えは」

「まだ聞いてないけど」

「聞いてよ」

 俺は深呼吸した。もう一度、さっきより小さな声で言った。

「好きです」

「うん」

 凛は頷いた。俺は「うん、って何」と聞こうとして、やめた。

 帰り道、俺は三年間のことを考えた。彼女のあの白い消しゴムが、何を意味していたか。完璧さじゃなく、切り捨ての潔さだったと気づいた。

 そうして次の瞬間、もう一つのことに気づいた。

 彼女のノートに、俺のことが書かれていたとしたら。もし彼女が、ある日のページを──俺に関係する何かを書いたページを──静かに切り取っていたとしたら。

 俺には確かめる方法が、ない。

青春

消しゴム

桐島蒼

2026-05-15

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消しゴム - ショートショート | 福神漬出版