田中は三十年間、一度も遅刻をしたことがない。
毎朝六時に起床し、七時十五分に家を出る。電車は必ず三両目に乗り、新聞は経済面から読み始める。会社に着くと、まず机の上を整理し、一日のスケジュールを確認する。
同僚の佐藤が言った。
「田中さんって、本当に規則正しいですね」
「習慣になっているだけですよ」
田中は微笑んで答えた。実際、彼の一日は分刻みで管理されている。昼食は十二時きっかり。コーヒーブレイクは午後三時。残業は一切しない。
ある日、部長が田中を呼んだ。
「君の仕事ぶりには本当に感心している。ミスも皆無だし、効率も素晴らしい」
「ありがとうございます」
部長は続けた。
「それで相談なんだが、来月から新システムを導入することになった。君に責任者をお願いしたい」
田中の表情が一瞬曇った。
「申し訳ございませんが、お断りします」
「え?」
「私には決められた仕事しかできません」
部長は困惑した。昇進のチャンスを断る理由が分からない。
その夜、田中はいつものように九時に就寝した。翌朝も六時に起床し、同じ時刻に家を出る。電車も同じ車両、同じ席に座った。
会社では相変わらず完璧な仕事ぶりを見せていたが、同僚たちの視線が少し変わった気がした。昇進を蹴った男として、奇異の目で見られているのかもしれない。
佐藤が近づいてきた。
「田中さん、どうして責任者の話を断ったんですか?」
田中は手を止めた。
「実は私、三十年前に入社した時からずっと同じことしかしていないんです」
「それは分かりますが」
「いえ、本当に同じことしかできないんです」
佐藤は首をかしげた。
田中は静かに微笑んだ。
「私はロボットですから」