佐藤は六回目のコインを投げた。表だった。
「また表ですね」彼は机の向かいに座る男に言った。「確率的にはありえないことですが」
男は無表情だった。四十代半ば、薄い髪、安物のスーツ。三十分前にこの喫茶店で声をかけてきた時と同じ顔をしている。
「私の名前は田中と申します。お時間をいただき、ありがとうございます」男は最初にそう言った。「実は、あなたに復讐したい人がいるのです」
佐藤は笑った。大学で確率論を教える自分に復讐?冗談だと思った。
「誰が復讐を?」
「私です」田中は答えた。「三年前、あなたの授業を受けていました。留年が決まった日を覚えていますか」
佐藤は首を振った。毎年何十人もの学生を落とす。一人一人など覚えていない。
「そこで提案があります」田中は続けた。「コインゲームをしませんか。十回投げて、表が七回以上出れば私の勝ち。そうなったら、あなたに復讐します」
「復讐って何を?」
「秘密です。でも安心してください。表が七回も出る確率は十七パーセント程度。あなたに不利な賭けではありません」
佐藤は興味を持った。元教え子の戯言に付き合うのも悪くない。
七回目。また表。
佐藤の額に汗がにじんだ。八回目も表。九回目も表。
「九回連続で表ですね」田中が言った。「最後の一回です」
佐藤の手が震えた。コインが宙に舞い、テーブルに落ちた。表だった。
「十回中十回、すべて表」田中は微笑んだ。「では、約束通り復讐させていただきます」
「ちょっと待て。このコイン、細工してあるんじゃないか」
「確率論の教授がそんなことをおっしゃるんですか?」田中はポケットから録音機を取り出した。「この会話、全部録音しました。明日の新聞に『確率論教授、イカサマを疑い醜態』という見出しで載ります」
佐藤は愕然とした。
「もちろん、コインに細工なんてしていません」田中は立ち上がった。「ただし、コインを投げたのは私じゃない。あなたでしたね、教授」