夕刻、佐吉の影が地面から浮き上がった。
「また始まった」と佐吉は溜息をついた。影は宙に浮いたまま、まるで生き物のように身をくねらせている。
この奇怪な現象が始まったのは三日前からだった。最初は見間違いかと思ったが、確実に自分の影が勝手に動き回るのだ。
「おい、いい加減にしろ」
佐吉が呟くと、影はぴたりと止まった。そして地面にぺたりと張り付く。
佐吉は魚屋を営んでいる。毎朝市場へ仕入れに行き、夕方まで店を切り盛りする生活を二十年続けてきた。真面目一筋、嘘偽りのない男として町内でも評判だった。
翌朝、いつものように市場へ向かう途中、影がまた浮き上がった。今度は佐吉の前を歩き、まるで道案内をするように手招きしている。
「どこへ連れて行く気だ」
影は振り返ると、人差し指を口元に当てる仕草をした。静かにしろということらしい。
やがて影は古い蔵の前で立ち止まった。佐吉も足を止める。すると影は蔵の壁を指差した。
「何があるって言うんだ」
佐吉が近づくと、壁の下の方に小さな穴が開いているのが見えた。中を覗くと、大量の小判が詰まった袋がいくつも積まれている。
「これは…」
佐吉の心は躍った。これだけあれば一生遊んで暮らせる。しかし、これは他人の物だ。手を出すべきではない。
影は佐吉の迷いを見透かしたように、首を横に振った。そして自分の胸を指差し、次に佐吉を指差した。
その時、後ろから声がした。
「やはり来たか、佐吉」
振り返ると、町奉行の田中が数人の同心を連れて立っていた。
「この蔵から盗まれた小判を、お前が隠したという密告があった」
「そんな馬鹿な。私は今初めて…」
「言い訳は無用だ。この三日間、お前の不審な行動は全て見張りに報告されている」
佐吉は愕然とした。自分を案内した影を見下ろすと、影はにっこりと笑みを浮かべていた。
縄をかけられながら、佐吉は気づいた。影は最初から、この瞬間へ自分を導いていたのだ。
真犯人の影が。