地下三層にある集会場は、かつて水道管の幹線だった場所を改造して作られたという。天井は丸く湾曲し、錆の文様が壁画のように広がっている。ランタンの橙色が水たまりに揺れ、透はその光の歪みをしばらく見つめていた。

 礎という老人が、奥の椅子に座っていた。

 百三十歳を超えているとは、にわかには信じがたかった。顔には皺が刻まれているが、その目だけが妙に若い——正確には、老いることを許されなかった何かが、あの瞳の奥で今も息をしているような気がした。仮面をつけていない。それが透には不思議でならなかった。カガミアで仮面を外した顔を見るのは、零を除けばこれが初めてだった。

 漣が小さく咳払いをした。夜明けの廃区画を三人で歩いてここまで来た。漣は一言も余計なことを言わなかった。父親の名を知ってからというもの、彼の沈黙は以前とは質が変わっていた。重いのではなく、凝縮されている、そんな感じだった。

 鏡花は礎の前に立ち、まず礼をした。

「来てくれたか」と礎は言った。声は低く、かすれていたが、よく通った。「透、という子が来ると聞いていた」

 透は自分の名前が呼ばれたことに驚いて、一歩前に出た。礎の視線が透の顔を静かにたどる。仮面ではなく、素顔を見ている。その感覚が透の皮膚に小さな刺を立てた。

「座りなさい」

 促されて、三人は床に敷かれた布の上に腰を下ろした。礎は膝の上で両手を組み、ゆっくりと呼吸した。その呼吸一つに、百年以上の時間が詰まっているように思えた。

「百年前の話をしよう」と礎は言った。「私が十二歳の夜のことだ」

 集会場に他の人間はいなかった。外では地下コミュニティの人々が気配を殺して息をしているはずだが、ここだけは別の時間が流れていた。

「感情廃止令が施行されたのは、春の終わりだった。突然ではなかった。前兆はあった。管理チップの更新が義務付けられ、人々は一人ずつ施設に呼ばれていった。戻ってきた人間は、前日より少し静かになっていた。少し、だ。だから誰も気づかなかった」

 礎の言葉は淡々としていた。感情を失った人間の語り口ではない。むしろその逆で、言葉の一つ一つに感触があり、温度があった。

「七つの感情が廃止された。渇望、悲嘆、嫉羡、恍惚、恐怖、憤激、そして恋慕。公式には『社会安定のために不要と判断された』とアナウンスされた。だが私は母が施設から戻った夜に気づいた。母の目から何かが消えていた。私を見る目が、前日と違った。愛情は残っていた。それは消えなかった。だが——渇望がなかった」

 透の胸の中で何かが動いた。渇望。自分がはじめて感じた、あの燃えるような問いの感覚。

「渇望がある人間は、問う。それが礎さんの言おうとしていることですか」と鏡花が静かに言った。

「そうだ」礎は頷いた。「渇望とは欲しいと思うことではない。知りたいと思うことだ。なぜ自分はここにいるのか、自分とは何者か——その問いを生む感情だ。七つの中でも、これだけが特別だった。他の六つは人間を揺さぶるが、渇望だけは人間を根本から問い直させる。システムを壊すとしたら、この感情だとアルマの先祖は理解していた」

 漣が小さく息を吐くのが聞こえた。

「記録には、渇望は『社会不安を招く過剰な自己探求欲』と分類されていました」と漣が言った。「父の草案にも、そう書かれていた」

「正確な言い方をすれば」と礎は言った。「渇望は人間を、管理できない存在にする。あの子が施設に呼ばれた翌日、なぜ施設に行かなければならないのかと親に問い返した。その問いがシステムに記録された。それだけで、一家全員の優先削除リストに載った。私はそれを見た」

 集会場の空気が重くなった。ランタンの炎が小さく揺れた。

「母は帰ってきたが、その夜から問わなくなった。父は施設には行かなかった。逃げた。私を連れて、地下に来た。だから私はここにいる。百年以上、地下で生きている」

 透はうつむいて、自分の手を見た。仮面工場で何千という仮面を作ってきた手。問いを封じるための道具を、自分は作り続けてきた。その事実が今さらのように胸に落ちてきた。

「透」と礎が呼んだ。

 顔を上げると、老人の目が真っ直ぐこちらを向いていた。

「おまえの中に渇望がある。私には分かる。父もそうだった。渇望を持つ人間の目は、何かを探している。止まらない目だ」

「私は——」と透は言いかけて、止まった。何を言えばいいのか分からなかった。

「問いを持つことを、恥じているか」

 透はゆっくりと首を振った。恥じていない、とは言い切れなかった。だが——憎んでもいなかった。この問いがなければ、自分はとうの昔に仮面の向こうに消えていた。

「なぜ自分はここにいるのか」と礎は繰り返した。「その問いに答えを持っている人間は、この都市にほとんどいない。チップが答えを先に与えるからだ。おまえはここにいる、なぜならおまえはここに割り当てられた存在だから——そう刷り込む。問いが生まれる前に、答えで埋めてしまう。渇望はその隙間に育つ。だから廃止された」

 透は口を開いた。

「礎さん」

「なんだ」

「私が問い続けることに、意味はありますか」

 老人は少しの間、黙っていた。ランタンの光が壁の錆の模様を橙に染めていた。

「意味を問うこと自体が、渇望だ」と礎はやがて言った。「おまえはもう答えている」

 その言葉が、透の内側に静かに落ちた。石を水に投げ込んだような感触で、波紋が広がっていった。仮面工場で黙々と型を抜いていた日々。誰かの顔を覆うための顔を、何も考えずに作り続けてきた自分。だがあのとき胸の奥で燃えていたのは、ただの不満ではなかった。問いだったのだ。なぜこれを作るのか。誰がこの仮面をつけるのか。その人間の本当の顔はどこにあるのか。

 問うことが、自分の存在だった。

「百年前に廃止令を生き延びた人間は、今や地下に十数人しかいない」と礎は続けた。「私たちが死んだとき、あの夜を直接知る者はいなくなる。だから証言する。渇望が廃止された理由を、おまえたちに渡しておく。使い方はおまえたちが決めろ」

 漣がポケットから小型の記録装置を取り出した。礎はそれを見て、かすかに口の端を上げた。

「記録官の本能か」

「父への答えです」と漣は言った。その声に揺れがあった。「父がこの都市を設計したなら、私はこの都市の真実を記録する。それが私にできる唯一のことだと、今は思っています」

 礎は長い沈黙の後、頷いた。

 話は夜が深まるまで続いた。礎は百年前の記憶を一つずつ取り出すように語った。施設の白い廊下。チップを埋め込まれた人間の、翌朝の顔。渇望が消えた目が、いかに澄んでいたか。澄んでいるというのは、空っぽであるということだ——そう礎は言った。

 帰り際、透は集会場の入口で立ち止まった。

「礎さん、一つ聞いていいですか」

「なんでも聞け」

「零という人間を、知っていますか」

 礎は動じなかった。だがその目が、一瞬だけ違う色を帯びた。知っている目だ、と透は直感した。

「知っている」と礎はゆっくり言った。「だが今夜はそこまでにしておけ。おまえはまず、自分が問うていいということを、体に覚えさせなさい。零の話はその後だ」

 透は礎の言葉を胸に刻んで、外に出た。

 地下の暗闇の中で、鏡花が隣に立った。彼女は仮面をつけていたが、今夜はいつもより少しだけ薄いものを選んでいるように見えた。

「どうだった」と彼女は訊いた。

「分かった気がします」と透は言った。「自分が問い続けてきた理由が」

 鏡花は何も言わなかった。だがその沈黙は肯定だった。

 遠くの通路で、漣が記録装置を握りしめて歩いていた。三人の足音が地下の静寂に溶けていく。その足音の先に、零の気配がまだ残っているような気がした——あるいはそれは、透自身の問いが立てる音だったのかもしれない。

硝子の都市と百の仮面

31

礎老人の証言

御影 澄架

2026-06-12

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第31話 礎老人の証言 - 硝子の都市と百の仮面 | 福神漬出版