リバプールの港から旅立って三日後、太平洋の真只中で私たちは黒崎一慶の船団と対峙していた。
「あれは……三隻」
鉄蔵が双眼鏡を覗きながら呟いた。水平線の向こうに、黒い影のような船影が見えている。朝もやの中を縫って、それらは確実に私たちの方角へと向かってきていた。
「蒸気船ですね」マリアが操舵輪を握りながら言った。「速度から判断すると、最新式の外輪船のようです」
私たちの船は帆船である。風が味方をしてくれれば蒸気船にも劣らない速度を出せるが、今朝は風が弱い。明らかに不利な状況だった。
「どうする、蒼一郎」鉄蔵が振り返った。「逃げるか、それとも……」
「逃げません」私は即座に答えた。「ここで逃げたら、これまで築いてきたものが全て無意味になる。世界中から駆けつけてくれた仲間たちの想いを無駄にはできません」
明華が甲板に上がってきた。その手には海図と羅針盤があった。
「蒼一郎さん、この海域の潮の流れを調べました。北東の方角に強い潮流があります。風が弱い今、あれを利用すれば……」
「流れを味方につけるということですね」マリアが明華の言葉を継いだ。「素晴らしいアイデアです。鉄蔵さん、砲の準備は」
「既に済んでいる」鉄蔵がにやりと笑った。「昔取った杵柄だ。黒崎の野郎に、本物の海戦というものを見せてやろう」
黒崎の船団は徐々に距離を詰めてきていた。先頭の船からマストに黒い旗が掲げられるのが見えた。
「降伏勧告の合図ですね」明華が冷静に観察した。「返事は……」
「これです」私は海堂家の家紋が入った青い旗を掲げさせた。「海堂商会は降伏しない、という意思表示を」
すると、黒崎の船から砲声が響いた。まだ射程外だが、威嚇の意味があることは明らかだった。
「マリア、北東へ」
「承知しました」
マリアの手が操舵輪を回した。船が潮流に乗ったのを感じる。徐々に速度が上がっていく。
「さすがですね」明華が感嘆の声を上げた。「この角度で潮流を捉えるなんて」
「三年前、嵐の中で覚えた技術です」マリアが振り返って微笑んだ。「あの時は生き延びるためでしたが、今日は戦うために使います」
黒崎の船団も私たちの動きに気づいたようだった。隊形を変えて包囲しようとしている。
「鉄蔵さん、左舷に敵船が回り込んできます」
「よし、明華、砲弾の装填を手伝ってくれ」
明華が素早く鉄蔵の元へ駆け寄る。彼の小柄な体と俊敏さが、狭い船内での作業には適していた。
「蒼一郎」マリアが声をかけた。「この戦い、必ず勝ちます。私たちの信念のために」
その時、黒崎の船から本格的な砲撃が始まった。水柱が私たちの船の周囲に立ち上がる。
「回避運動開始」マリアが叫んだ。
船が大きく左に舵を切る。私は手すりにしがみつきながら、黒崎の船を見つめていた。確かに向こうは三隻で、火力でも速度でも上回っている。しかし、私たちには彼らにはないものがあった。
「今です、鉄蔵さん」
「任せろ」
鉄蔵の放った砲弾が、黒崎の先頭船のマストに命中した。敵船が少しよろめくのが見えた。
「やったぞ」明華が拳を握りしめた。
しかし、敵の反撃も激しかった。今度は私たちの船に砲弾が直撃し、船体が大きく揺れた。
「被害報告」私が叫ぶ。
「船体に損傷ありますが、まだ航行可能です」マリアが答えた。「でも、あと何発か受けたら……」
その時、明華が海図を指差した。
「蒼一郎さん、あそこです。あの岩礁地帯に誘い込めば」
「危険すぎます」マリアが首を振った。「あの岩の間を縫って航行するなんて」
「いえ、できます」明華の瞳が輝いていた。「マリアさんの技術なら。そして鉄蔵さんの砲撃の腕なら、狭い海域で敵の動きを封じることができる」
私は二人を見つめた。マリアの航海術への情熱、それは単なる技術ではなく、海を愛する者の本能だった。三年前に嵐を乗り越えた彼女なら、この難局も突破できるはずだ。
「やりましょう」私が決断を下した。「マリア、岩礁地帯へ」
「分かりました。でも、全員、しっかり掴まっていてください」
マリアの操船が本領を発揮した。潮流と風向きを完璧に読み、岩と岩の間を縫うように船を進めていく。黒崎の船団もついてこようとしたが、大型の蒸気船では身動きが取れない。
「今です」鉄蔵が狙いを定めた。
狭い海域に閉じ込められた敵船に向けて、正確な砲撃が炸裂する。黒崎の二番船が煙を上げ始めた。
「素晴らしい連携ですね」明華が興奮気味に言った。「これぞ真のチームワーク」
しかし、黒崎も諦めていなかった。残る二隻で私たちを包囲しようとしている。そして、先頭の船から声が聞こえてきた。
「海堂蒼一郎」
拡声器を通した黒崎の声だった。
「よくやるではないか。だが、この程度で勝ったと思うな。真の勝負は、これからだ」
その瞬間、黒崎の船から今までとは比較にならない大きさの砲弾が発射された。それは私たちの船の真正面に向かってきていた。