コロンボ港を発った「海桜丸」は、インド洋の青い海原を西へと進んでいた。船上では潮風が帆を膨らませ、蒼一郎たちの髪を優しく撫でていく。
「次の目的地はペルシャ湾のバスラ港だな」
蒼一郎は海図を広げながら呟いた。プリヤーから受け取った第二の契約書には、「砂漠の民の誇りを守りし者」という文言が記されていた。その手がかりを求めて、一行は中東の要衝へと向かっていた。
「ペルシャ湾か。あの辺りは海賊も多いと聞くが」鉄蔵が眉をひそめる。
「海賊よりも砂漠の盗賊の方が厄介かもしれませんね」明華が地図を指差した。「バスラから内陸部への商隊路は、昔から襲撃が絶えないそうです」
マリアが望遠鏡を片手に振り返った。「でも、それだけ重要な交易路だということでしょう。きっと第三の契約もその辺りに」
航海は順調に進み、やがて一行はバスラ港に到着した。港には様々な国籍の商船が停泊し、香辛料や絨毯、宝石の匂いが潮風に混じって漂っている。
港で情報収集をしていると、困り果てた表情のアラブ商人が声をかけてきた。
「旅の方々、もしよろしければお聞きください」その男は流暢なアラビア語で話した。明華が通訳する。
「彼の名前はハキーム・アル=アジーズ。バグダッドへ向かう商隊を組織しているそうですが、最近盗賊団の活動が活発化して、護衛が足りなくて困っているとのことです」
蒼一郎は興味深そうに身を乗り出した。「どのような品物を運ぶのですか?」
ハキームの説明によれば、彼らは真珠や香辛料、絹織物などの貴重品を扱う商隊だった。しかし、この一ヶ月で三度も盗賊に襲われ、多くの仲間を失ったという。
「我々も護衛は雇っているのですが、盗賊団の首領ザヒールは狡猾で、いつも我々の上手を行くのです」ハキームの声には絶望が滲んでいた。
鉄蔵が腕を組んだ。「面白そうじゃないか。蒼一郎、どうする?」
「砂漠の民の誇り」というキーワードが頭をよぎった。蒼一郎は決断した。
「ハキームさん、我々があなたの商隊に同行させていただけませんか。護衛として」
ハキームの目が驚きに見開かれた。「しかし、あなた方は異国の方々。この砂漠の厳しさをご存知ない」
「だからこそ、学びたいのです」蒼一郎の声に真摯さが込められていた。「商売とは信頼の上に成り立つもの。困っている商人を見過ごすことはできません」
三日後、一行は大規模な商隊に合流していた。ラクダの列が砂漠の地平線まで続き、その光景は壮観だった。マリアは初めて見る砂漠に目を輝かせ、明華は商人たちとの会話を楽しんでいる。
「砂漠は美しいが、油断は禁物だ」鉄蔵が武器の点検をしながら言った。
商隊は順調に進んでいたが、三日目の夕方、斥候が血相を変えて戻ってきた。
「ザヒールの一団です! 約五十騎で我々を包囲しようとしています!」
商隊に緊張が走った。ハキームの顔が青ざめる。
「いつものように、我々を三方から攻撃してくるでしょう。逃げ場はありません」
蒼一郎は冷静に状況を分析した。「鉄蔵さん、敵の戦術は?」
「恐らく、正面から陽動をかけて、両翼から本隊で挟み撃ちにする作戦だろう。砂漠では定石だ」
その時、マリアが口を開いた。「でも、それって敵が我々の動きを読んでいることが前提よね?」
「どういうことだ?」
「もし我々が相手の予想と違う動きをしたら?」マリアの目に策士の光が宿っていた。
蒼一郎は頷いた。「つまり、逆に我々が相手を包囲するということですね」
夜が更けると、盗賊団の攻撃が始まった。予想通り、正面からの陽動攻撃の後、両翼から本隊が襲いかかってきた。
しかし、商隊の配置は通常とは大きく異なっていた。蒼一郎の指揮の下、護衛たちは三つの小隊に分かれ、敵の攻撃を巧みに誘導していく。
「今だ!」蒼一郎の号令と共に、隠れていた護衛たちが一斉に立ち上がった。逆に包囲されていることに気づいた盗賊団は混乱した。
鉄蔵の豪快な戦いぶりに、マリアの正確な射撃、明華の機転の利いた作戦指示が加わり、戦況は一気に商隊側に傾いた。
首領ザヒールが捕らえられると、残りの盗賊たちは散り散りに逃げ去った。
「信じられない」ハキームが感嘆の声を上げた。「長年苦しめられていた盗賊団を、こうも見事に」
翌朝、商隊は無事にバグダッドの隊商宿に到着した。ハキームは深々と頭を下げた。
「あなた方のおかげで、我々は商売を続けることができます。これぞまさに砂漠の民の誇りです」
その時、ハキームが懐から古い羊皮紙を取り出した。
「これは先祖代々我が一族に伝わるものですが、あなた方にこそ相応しい」
それは確かに、海堂商会の印が押された契約書だった。第三の契約書である。
「我が先祖は、あなた方の祖先と友情の契約を結んだのです。困った時は互いに助け合う、という」
蒼一郎は感動に胸を震わせた。祖父の理念が、こうして遠いアラビアの地でも生き続けていたのだ。
「ハキームさん、我々も友情の契約を結びましょう。海堂商会とアル=アジーズ商会の」
二人は固い握手を交わした。砂漠の夕陽が彼らを温かく照らしている。
その夜、隊商宿で行われた祝宴の席で、ハキームは一行に告白した。
「実は、第四の契約のことも聞いております。それはアフリカの角、紅海の向こうにあると」
マリアが身を乗り出した。「アフリカですって?」
「エチオピアの高原地帯です。そこにはコーヒー豆の取引で栄えた古い商会があると聞いています」
明華が地図を広げた。「紅海を越えれば、そこはもう未知の世界ですね」
鉄蔵が豪快に笑った。「面白くなってきたじゃないか!」
蒼一郎は夜空に輝く星々を見上げた。祖父が築いた友情のネットワークは、想像以上に広大だった。そして今、自分たちがその意志を継いでいる。
「次はアフリカか」蒼一郎が呟いた。「また新たな出会いが待っているのですね」
砂漠の風が頬を撫でていく。七つの契約のうち、既に三つを手に入れた。しかし、本当の冒険はまだ始まったばかりだった。翌朝、一行は紅海へと向かう船に乗り込む予定だった。そこにはどんな試練と友情が待ち受けているのだろうか。