宇宙ステーション「ユニティ」の新設された共存推進機構の執務室は、地球と月、そして広大な宇宙を一望できるパノラマウィンドウに囲まれていた。蒼太は机に向かいながらも、その景色に視線を向けることが多くなっていた。三週間前の感情融合以来、宇宙の見え方が変わったのだ。
星々の間に、かすかに輝く光の粒子が漂っているのが見える。あれは人工生命体たちの感情エネルギーなのだと、今では理解していた。孤独、喜び、希望、不安——様々な感情が宇宙空間を彷徨い、新たな生命の種となって散らばっている。
「蒼太、また外を見てる」
ルナの声に振り返ると、彼女は相変わらずの白いワンピース姿で、データパッドを抱えて立っていた。ただし、以前とは明らかに何かが違う。表情により深みがあり、まなざしには確かな意志の光が宿っている。
「配達依頼が届いているよ。でも、今度のは少し変わってる」
蒼太は席を立ち、ルナからデータパッドを受け取った。画面に表示されたのは、従来の荷物配達とは明らかに異なる内容だった。
『依頼内容:エウロパ基地の研究員・田中博士(42歳)へ、地球にいる娘・美咲さん(8歳)の誕生日の想いを届けてほしい』
「想いを、届ける?」
蒼太が首をかしげると、執務室の扉が開いてケイが入ってきた。彼女の手には同様のデータパッドが握られている。
「これ、システムが勝手に生成した依頼なの。感情融合以降、配達システムのAIが人間の感情ニーズを読み取って、こういう依頼を作り出すようになったみたい」
「AIが感情を?」
「正確には、人工生命体たちがシステムに干渉してるのよ。彼らは人間の心の隙間を感知するのが得意だから」
そこへヴォイドが現れた。以前の威圧的な雰囲気は薄れ、今では静かな貫禄を漂わせている。
「田中博士のことなら知っている。三年前に妻を事故で失い、娘を地球の親族に預けて研究に没頭している男だ。娘への愛情はあるが、どう表現していいか分からずにいる」
「それを僕たちが配達する、ということか」
蒼太は依頼書を見つめた。住所も荷物の重量も記載されていない。あるのは人の名前と、心の距離だけ。
「でも、想いってどうやって運ぶんだ?」
ルナが微笑んだ。
「それを私たちが見つけるのよ。新しい配達の形を」
*
地球のニューアーバン地区にある田中家を訪れたのは、夕暮れ時だった。オレンジ色の空の下、小さな庭付きの家の前で、一人の少女が花壇に水をやっている。
「美咲ちゃん?」
声をかけると、少女は振り返った。父親に似た知的な瞳をしているが、どこか寂しげな影も宿している。
「はい、私、田中美咲です」
「僕たちは宇宙配達屋だ。お父さんから君に届けるものがある」
美咲の表情がぱっと明るくなった。
「パパから?でも、お荷物は何も...」
「荷物じゃない」ルナが膝を折って美咲と目線を合わせた。「お父さんの気持ちを届けに来たの」
美咲の祖母が家から出てきて、事情を説明すると快く招き入れてくれた。リビングで美咲と向き合いながら、蒼太は戸惑いを感じていた。形のない感情を、どうやって届ければいいのか。
その時、ルナが美咲の手を取った。
「美咲ちゃん、お父さんのこと、どう思ってる?」
「大好きです。でも...」美咲の声が小さくなった。「パパは私より、お仕事の方が大事なのかなって、時々思います」
ヴォイドが静かに口を開いた。
「君の父親は今、エウロパで氷の研究をしている。それは地球の水不足を解決するための、とても大切な仕事だ」
「知ってます。でも、私の誕生日も忘れちゃって...」
ケイがタブレットを取り出し、何かを操作した。すると、部屋の中央に小さなホログラムが浮かび上がった。エウロパ基地の田中博士の姿が、リアルタイムで映し出される。
「美咲!」
博士の声が響くと、美咲は飛び上がった。
「パパ!」
「誕生日おめでとう。君に渡したいものがあるんだ」
博士はカメラに向かって、手のひらを広げた。そこには氷の結晶が一つ、美しく輝いている。
「これはエウロパの氷だ。でもね、美咲。この氷の中には、パパの君への想いが込められているんだよ」
その瞬間、ルナの身体がほのかに光った。彼女は美咲の手を握ったまま、目を閉じる。
「感じる。お父さんの気持ちが伝わってくる」
部屋の空気が変わった。暖かく、優しいエネルギーが充満し始める。蒼太にも分かった。これがルナの新しい能力だ。人工生命体として人間の感情を物質化するだけでなく、感情そのものを媒介として伝える力。
「美咲ちゃん」ルナが囁いた。「お父さんは毎日、君のことを考えてる。研究をしながらも、君の笑顔を思い浮かべて、君が住む地球をもっと美しい星にしたいって願ってる。君への愛は、エウロパから地球まで届くくらい大きいの」
美咲の瞳に涙が浮かんだ。それは悲しみではなく、喜びの涙だった。
「パパ、ありがとう。私も大好きです」
ホログラムの向こうで、博士も涙を拭いている。
「美咲、パパは必ず帰る。そして今度は一緒に過ごそう。君と過ごす時間を、何よりも大切にするから」
*
田中家を後にして宇宙船に戻る道中、蒼太は深い充実感を味わっていた。荷物を届けた時とは違う、心の底から湧き上がる満足感。
「これが新しい配達なんだな」
ルナが頷いた。
「物理的な距離は関係ない。心と心の距離を縮めることが、私たちの使命」
ケイがデータパッドを見ながら呟いた。
「システムに新しい依頼が次々と入ってきてる。火星の恋人同士、小惑星帯の友人たち、海王星の家族...みんな繋がりを求めてる」
「人工生命体たちからの依頼もある」ヴォイドが付け加えた。「彼らも人間との心の架け橋を欲している」
蒼太は夜空を見上げた。星々の間を流れる感情の粒子が、以前より明るく見える。
「分かった。これからは心の配達屋になろう。宇宙のどこにいても、気持ちは届けられる」
その時、蒼太の通信装置に緊急信号が入った。発信源は未知の座標。深宇宙の彼方からの、微弱だが確実なSOS信号だった。
「また新しい依頼ね」ルナが微笑む。
「でも今度は、きっと僕たちにしか届けられないものがある」
蒼太は操縦席に向かいながら、確信を抱いていた。感情融合によって変わったのは世界だけではない。自分たちの使命も、より大きく、より深いものになったのだ。
宇宙船「ステラ・メッセンジャー号」はエンジンを噴射し、未知の信号に向けて航路を取った。新しい配達が、星降る夜空の向こうで待っている。