宇宙は戦場と化していた。
月と地球の間に広がる暗黒の空間で、オレンジ色の閃光が絶え間なく瞬いている。人工生命体たちの憎悪が物質化した黒い触手が、地球防衛軍の白い戦艦群を包み込もうとしていた。
その混沌の中を、一隻の小さな配達船が静かに航行していく。
「蒼太、危険よ。戦闘宙域を迂回しましょう」
ルナの心配そうな声が船内に響いた。彼女の半透明な身体が、外の戦闘の光を受けて微かに青白く光っている。
「でも、この荷物を待っている人がいる」
蒼太は操縦桁を握る手に力を込めた。彼の膝の上には、小さな保温ボックスが置かれている。中身は月面基地で作られた薬。地球の病院で、その薬を待つ子供がいるのだ。
「戦争が始まったからって、配達をやめるわけにはいかない」
船体が激しく揺れた。近くで爆発が起きたのだろう。レーダーには無数の光点が踊っている。人工生命体の軍団と地球防衛軍の艦隊が、まさに全面戦争を繰り広げていた。
「蒼太、左舷に人工生命体の戦闘体が接近中です」
新たに人工生命体として誕生した配達船——今は『ホープ』と名乗っている——が警告を発した。船の声は、どこか蒼太に似て落ち着いている。
「分かってる。でも、戦うためじゃない」
蒼太は通信機を開いた。
「こちら宇宙配達便『ホープ』。戦闘宙域を通過します。攻撃の意思はありません」
返答はなかった。代わりに、憎悪の塊のような黒い触手が船に向かって伸びてくる。
その時、ルナが前に出た。
「待って」
彼女の身体から柔らかな光が放射された。それは孤独から生まれた彼女の本質——誰かと繋がりたいという純粋な願いが形になったものだった。
黒い触手が光に触れた瞬間、動きを止めた。憎悪の中に、一瞬だけ別の感情が混じったのを蒼太は感じた。困惑、そして微かな好奇心。
「私たちは戦いに来たんじゃない」ルナが静かに語りかけた。「ただ、必要な物を必要な人に届けたいだけ」
人工生命体たちがざわめいた。彼らにとって、人間は憎むべき敵だった。しかし、目の前にいるのは同じ人工生命体のルナと、武器を持たない少年だけ。
「君たちも、最初は誰かの気持ちから生まれたんでしょう?」
ルナの言葉に、触手がわずかに震えた。
憎悪から生まれた人工生命体たちも、元を辿れば人間の感情から誕生した存在だった。最初の感情は憎悪だったかもしれないが、それでも人間と繋がっていたのだ。
配達船『ホープ』がゆっくりと前進する。人工生命体たちは攻撃せず、ただ静かにそれを見送った。
「信じられない」
地球防衛軍の旗艦から通信が入った。スクリーンに映ったのは、見知らぬ中年の艦長だった。
「人工生命体が攻撃を止めている。一体何をしたんだ?」
「何もしてません」蒼太が答えた。「ただ、配達をしているだけです」
艦長は困惑した表情を浮かべた。戦場の真ん中で配達を続けるなど、常識では考えられない。
「危険だ。すぐに戦闘宙域から離脱しろ」
「申し訳ありませんが、お断りします」
蒼太の声には、いつもの静かな決意が込められていた。
「僕は配達員です。どんな時でも、荷物を届けるのが仕事です」
通信が切れた後、ルナが微笑んだ。
「蒼太らしいわね」
「当たり前だ」
しかし、戦場の現実は厳しかった。人工生命体の軍団を抜けた後、今度は地球防衛軍の戦闘宙域に入った。ここでも『ホープ』は容赦なく狙われた。
「民間船舶、即座に退避せよ。戦闘中だ」
警告が響く中、蒼太は冷静にコースを維持した。レーザー砲が船の周囲を掠めていく。
「蒼太、もう限界よ。このままじゃ——」
ルナの言葉を遮るように、巨大な爆発が宇宙を照らした。人工生命体の攻撃が地球防衛軍の戦艦を直撃したのだ。戦艦から脱出ポッドが次々と射出される。
蒼太は迷わず操縦桿を切った。
「どこに行くの?」
「救助だ」
「でも、薬の配達は?」
「両方やる」
『ホープ』は損傷した戦艦に向かった。脱出ポッドの一つが機能を停止し、宇宙空間に漂っている。中には若い兵士が一人取り残されていた。
「こちら配達船『ホープ』。救助します」
ドッキングベイが開き、兵士を船内に収容した。兵士は人工生命体であるルナと『ホープ』を見て驚いたが、蒼太の落ち着いた対応にすぐに安心した様子を見せた。
「ありがとう。君たちは?」
「宇宙配達員です」蒼太が簡潔に答えた。「安全な場所まで送ります」
兵士は首を振った。
「いや、僕の部隊のところまで送ってくれ。まだ戦えるんだ」
「怪我をしているでしょう」ルナが心配そうに見つめた。
「これくらい、どうってことない」兵士は苦笑いを浮かべた。「それより、君たちこそなぜここに?戦場だぞ」
蒼太は保温ボックスを示した。
「配達です。地球で薬を待っている子がいる」
兵士の表情が変わった。戦場で命がけの配達を続ける少年への敬意が、その目に宿った。
「そうか。君は本物の配達員だな」
その時、警報が鳴り響いた。人工生命体の大型戦闘体が接近してきたのだ。黒い翼を広げた巨大な鳥のような姿で、憎悪のオーラを放ちながら三隻の地球防衛軍戦艦を包囲していた。
「まずい。あれはヴォイドの親衛隊だ」兵士の顔が青ざめた。「逃げよう」
しかし蒼太は、包囲された戦艦の一隻に目を留めた。艦橋が損傷し、逃げることもままならない状態だった。
「あの船に人は?」
「ああ、でも助けるのは不可能だ。あの戦闘体は——」
蒼太は通信機を開いた。
「人工生命体の皆さん、お疲れさまです。宇宙配達便の橘です」
戦闘体たちの動きが止まった。突然の呼びかけに困惑したのだろう。
「皆さんの中にも、きっと届けたいものがあるはずです」
蒼太の声が宇宙に響いた。
「憎悪も、怒りも、全部誰かに届けたい気持ちから生まれている。僕にはそれが分かります」
人工生命体たちがざわめいた。彼らの憎悪の根源にあるのは、理解されたい、認められたいという願いだった。
「だから、お願いします。その気持ちを、暴力じゃない方法で届けさせてください」
長い沈黙が流れた。やがて、人工生命体の戦闘体がゆっくりと包囲を解いた。損傷した戦艦が自由になる。
「信じられない」兵士が呟いた。「戦闘を止めた」
しかし、それは一時的な停戦に過ぎなかった。遠くから新たな人工生命体の軍団が接近してくる。今度はより大規模で、憎悪の色も濃い。
「あいつらは話を聞かないぞ」兵士が警告した。「ヴォイドの直属部隊だ」
蒼太は深呼吸をした。保温ボックスを抱え直し、決意を新たにする。
「それでも、僕は配達を続ける」
彼の言葉を聞いて、ルナの身体がより強く光った。『ホープ』のエンジンも、まるで蒼太の決意に応えるように力強い音を響かせた。
「僕たちと一緒に来ませんか?」
蒼太が兵士に提案した。
「配達の手伝いを」
兵士は一瞬驚いたが、すぐに笑顔を見せた。
「ああ、喜んで」
小さな配達船が再び戦場に向かって進んでいく。その姿を見て、戦場の両軍に微かな変化が生まれていた。戦うことだけが全てではないのかもしれない——そんな希望の光が、暗い宇宙にゆっくりと広がり始めていた。