月面都市ニューセレーネの中央管制室で、神崎ケイは宙に浮かぶホログラムスクリーンを見つめていた。廃棄採掘施設からの緊急信号は途絶え、木星軌道からの攻撃による振動が月面全体を揺らしている。
「施設の生体反応は?」
部下のオペレーターが慌てた声で答える。
「三名分確認できます。ですが、信号が不安定で詳細は……」
三名。蒼太とルナ、そして森だろう。ケイは唇を噛んだ。政府軍の包囲網を展開したのは自分の判断だった。人工生命体という未知の存在を野放しにするわけにはいかない。それが正しい判断だったはずなのに、なぜこんなにも胸が締め付けられるのか。
「ケイさん、木星からの第二波攻撃が予測されます。このままでは施設が完全に崩壊する可能性が……」
「分かっている」
ケイは振り返ると、素早くキーボードを叩き始めた。指先から生まれる光の軌跡が複雑な軌道計算を描き出す。救出作戦を立案するつもりだった。だが、手が止まる。
なぜ自分は蒼太を助けようとしているのか。
幼馴染だから?それとも――
「ケイさん」
オペレーターの声に我に返ると、新たな映像がスクリーンに映し出されていた。施設周辺にいた政府軍兵士たちが、なぜか武器を降ろしている。敵対的な姿勢ではなく、まるで何かに心を動かされたような表情をしていた。
「これは一体……」
その時、通信回線に蒼太の声が響いた。
『ケイ、聞こえるか』
心臓が跳ね上がる。ケイは慌てて応答する。
「蒼太!無事だったのね。今すぐそこから離れなさい。木星からの攻撃で施設が崩壊する危険が……」
『それより聞いてくれ。ルナが新しい能力に目覚めた。人の心を開く力だ』
「心を開く?」
『兵士たちの敵意を消し去った。でも、その代償で彼女の体が……』
蒼太の声に焦燥感が滲んでいる。ケイの胸に複雑な感情が渦巻いた。人工生命体の能力が進化している。それは人類にとって脅威かもしれない。だが、蒼太の声に込められた心配は紛れもなく本物だった。
「蒼太、その人工生命体は危険よ。能力が進化し続けているなら、いつか制御不能になる可能性が……」
『ルナは違う。彼女は人間を理解しようとしている。傷つけるためじゃない』
「でも!」
言いかけて、ケイは言葉を飲み込んだ。自分は何と言おうとしていたのか。人工生命体の危険性を説くことで、蒼太を説得しようとしていたのか。それとも、蒼太が人工生命体の少女に心を寄せていることへの嫉妬を隠そうとしていたのか。
『ケイ?』
「……分かったわ。でも条件がある。その子を月面都市に連れて来て。きちんと検査を受けさせる」
『ケイ……』
「心配しているのよ、あなたのことを」
その言葉は、思わず口をついて出た。管制室にいるスタッフたちの視線が集まるが、もうどうでもよかった。
『ありがとう。でも今は……』
通信が途切れた。同時に、施設の映像に異変が起きる。崩れかけていた構造物が、淡い光に包まれて修復されていく。
「これは……感情の物質化現象?」
オペレーターが息を呑む。ケイも目を見開いた。画面に映る光景は、まさに奇跡としか言いようがなかった。ルナの能力が、破壊された施設を癒やしている。
だが、その直後に映像に映った少女の姿に、ケイの心は凍りついた。ルナは蒼太の腕の中で、まるで消え入りそうなほど弱々しくなっていた。能力の代償が、彼女の生命力を削っているのは明らかだった。
「生体反応が急激に低下しています」
部下の報告に、ケイの中で何かが弾けた。
「救出チームを編成して。今すぐよ」
「ですが、人工生命体の危険性を考慮すれば……」
「私が責任を取る」
ケイは立ち上がると、壁際に置かれた宇宙服に向かった。
「ケイさん、まさか自分で?」
「蒼太が危険な目に遭っているのに、ここで指示だけ出していられるわけがないでしょう」
宇宙服を着込みながら、ケイは自分の心と向き合った。人工生命体への不信は今も消えていない。だが、それ以上に蒼太への想いが勝っていた。幼馴染として?それとも……
答えは出せずにいた。
準備を終えたケイが格納庫に向かおうとした時、再び通信が入った。今度は森からだった。
『月面都市の皆さん、聞こえますか。こちら元政府軍大尉、森です』
「森大尉?生きていらしたのですね」
『はい。そして、重要な報告があります。人工生命体ルナは、確かに人類の脅威となり得る能力を持っています。ですが、同時に人類の希望でもある。彼女は憎悪ではなく愛で能力を使っている』
愛。その言葉に、ケイの胸がざわめいた。
『彼女の能力は人の心を繋ぐものです。分断されがちな現代において、これほど必要とされる力はないでしょう』
「でも、能力の代償で彼女は……」
『ええ、それが問題です。このままでは彼女の命が危ない。月面都市の医療施設でなければ、彼女を救えないかもしれません』
ケイは決断した。
「分かりました。救出に向かいます」
『ありがとうございます』
通信を切ると、ケイは小さな宇宙艇のコックピットに座った。エンジンが唸りを上げ、月面の砂塵を舞い上げながら離陸する。
廃棄採掘施設への航路を設定しながら、ケイは自分の気持ちと向き合い続けた。蒼太への想い。人工生命体への複雑な感情。そして、二人の間に生まれている絆への嫉妬。
全てがひとつに混じり合って、答えの見えない迷路を作り出していた。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。蒼太を失いたくないということ。たとえ彼の心が人工生命体の少女に向けられていたとしても、彼が危険にさらされているのを見過ごすことはできなかった。
月面の地平線に、損傷した採掘施設が見えてきた。その時、宇宙の彼方から新たな光の筋が伸びてくるのが見えた。
木星からの第三波攻撃。今度は今までとは比較にならない規模だった。
ケイの顔が青ざめる。このままでは、蒼太もルナも、そして自分も消し飛んでしまう。
「急いで……!」
宇宙艇のエンジンを最大出力に上げながら、ケイは心の中で祈った。間に合ってくれ。全てが手遅れになる前に――。