魔王復活の知らせから一夜が明けた。青嵐食堂の朝は、いつもとは全く違う慌ただしさに包まれていた。
「まず、移動可能な調理器具から選別しないと」
颯太は厨房で、普段使っている調理器具を一つ一つ手に取っては考え込んでいた。異世界での長期活動となると、使い慣れた道具を持参したいが、全てを持って行くわけにはいかない。
「颯太さん、これはどうでしょう?」
リリアが手にしているのは、コンパクトに折り畳める小型のフライパンだった。颯太が以前、キャンプ用に購入していたものの、一度も使わずにいた品物だ。
「ああ、それは良いね。軽量だし、火力の調節も効く」
颯太がフライパンを受け取ると、リリアの表情がぱっと明るくなった。彼女なりに、少しでも役に立ちたいという気持ちが伝わってくる。
「我も手伝おう」
グランドが現れたのは、巨大な体を小さく縮めた姿だった。それでも厨房には少し大きすぎるが、彼なりに配慮しているのが分かる。
「グランド、君は保存の魔法が得意だったね。食材の鮮度を保つのに協力してもらえるかな」
「当然だ。我の魔力をもってすれば、一週間は新鮮なままで保てる」
古代ドラゴンの誇らしげな表情に、颯太は思わず苦笑した。いつもは威厳に満ちたグランドも、料理のことになると子供のようになる。
アーサーは客席で、地図を広げながら移動ルートを検討していた。
「森まで最短で三日の行程だが、魔物の動向を考慮すると迂回も必要かもしれん」
「そうなると、一週間分の食材では足りないかも」
颯太の呟きに、リリアが振り返る。
「でも、道中で採取できる食材もあります。森の近くなら、私が案内できますし」
「そうか。リリアの知識があれば心強いな」
準備作業が続く中、咲良が食堂に現れた。普段より早い時間で、表情に心配の色が浮かんでいる。
「お兄ちゃん、昨日から様子がおかしいけど、何かあったの?」
颯太は作業の手を止めた。これまで妹には異世界のことを秘密にしてきたが、今回の遠征は長期間になる可能性が高い。全てを話すわけにはいかないが、何らかの説明は必要だろう。
「咲良、少し話がある」
颯太は妹を奥のテーブルに案内し、向かい合って座った。リリアたちは気を遣って少し離れた場所で準備を続けている。
「実は、少し遠出をすることになった」
「遠出って、どこに?」
咲良の目が真剣になった。兄の表情から、ただの旅行ではないことを察したのだろう。
「山奥の村なんだけど、そこで料理の勉強をしたくて」
嘘をつくのは気が重かったが、今はこれが精一杯だった。
「どのくらい?」
「分からない。一週間かもしれないし、もっと長くなるかも」
咲良は少し考え込んだ後、ため息をついた。
「お兄ちゃん、私のことを子供だと思ってる?」
「え?」
突然の問いかけに、颯太は戸惑った。
「最近、変なお客さんが増えたし、お兄ちゃんの料理も前より美味しくなった。それに」
咲良は振り返って、リリアたちを見やった。
「あの人たちも、普通じゃないよね。特に、あの大きな人」
グランドのことを指しているのだろう。確かに、いくら人間の姿をとっていても、どこか超越的な雰囲気は隠しきれない。
「咲良...」
「全部は話してくれなくてもいい。でも、お兄ちゃんが大切なことをしようとしているのは分かる」
妹の成長した表情に、颯太は胸が熱くなった。
「ありがとう、咲良」
「だから、食堂のことは任せて。お兄ちゃんが帰ってくるまで、ちゃんと守るから」
咲良の言葉に、颯太は深く頭を下げた。
「でも、一つお願いがある」
颯太は顔を上げて、妹を見つめた。
「何?」
「もし、本当に困ったことがあったら、リリアに相談してほしい」
「リリアさんに?」
「うん。彼女は見た目より大人だし、きっと力になってくれる」
リリアは少し離れた場所にいたが、名前を呼ばれて振り返った。颯太が手招きすると、遠慮がちに近づいてくる。
「咲良さん、颯太さんがいない間、何かお困りのことがあれば、遠慮なく声をかけてください」
リリアの真摯な表情に、咲良は少し驚いた様子だった。
「ありがとうございます。でも、リリアさんも一緒に行くんですよね?」
「はい。でも、必要な時は必ず戻ってきます」
リリアの言葉に嘘はなかった。魔法使いなら、緊急時に瞬間移動で食堂に戻ることも可能だ。
「分かりました。よろしくお願いします」
咲良がぺこりと頭を下げると、リリアも丁寧にお辞儀を返した。
準備作業は夕方まで続いた。調理器具、保存の利く食材、調味料、そして万が一に備えた医療品まで。限られた荷物の中に、必要最小限のものを詰め込んでいく。
「明日の朝一番に出発しよう」
颯太の提案に、全員が頷いた。
夕食は、いつもより豪華になった。咲良が腕によりをかけて作った料理が、テーブルに並ぶ。
「しばらく会えなくなるから、お兄ちゃんの好きなものばかり作っちゃった」
咲良の言葉に、颯太は目頭が熱くなった。
「咲良の料理も、随分上達したな」
「当たり前でしょ。お兄ちゃんの妹だもん」
食事の間、会話は途切れることなく続いた。普段なら当たり前の時間が、今夜はとても貴重に感じられる。
「颯太」
グランドが静かに口を開いた。
「我々が向かう先は、決して安全な場所ではない。覚悟はできているか?」
「ああ」
颯太は迷わず答えた。
「リリアの故郷を救いたい。それに、料理の力で魔物たちを元に戻せるなら、やってみる価値はある」
「颯太さん...」
リリアの目に涙が浮かんだ。
「大丈夫。みんなで力を合わせれば、きっと何とかなる」
夜が更けて、それぞれが休息についた。颯太は一人、厨房に残って最後の確認をしていた。
明日からは、これまでとは全く違う冒険が始まる。不安がないわけではないが、それ以上に使命感が胸を熱くしていた。
「料理の力で、きっと」
颯太は拳を握りしめた。明日への決意を新たに、静かに夜を迎えた。
翌朝、空が白み始めた頃、青嵐食堂は静かな出発の時を迎えようとしていた。