図書館に静寂が戻り、四人は安堵の表情を浮かべていた。時空の歪みは修復され、書架は再び穏やかな光に包まれている。しかし陽菜の胸の奥には、まだ言葉にできない違和感が残っていた。
「皆、お疲れ様でした」
晴明が深く息をつきながら言った。その顔には疲労の色が濃く、額に汗が滲んでいる。
「いやあ、久々に本気出したぜ」
北斎は筆を振りながら豪快に笑ったが、その笑顔もどこか無理をしているように見えた。明治も発明品を片付けながら、時折思いつめたような表情を見せている。
陽菜は周囲を見回した。確かに図書館は元の姿を取り戻している。だが、虚無の収集家が最後に残した言葉が、まだ心に引っかかっていた。
「これで終わりだと思うな」
なぜ、彼はあんなことを言ったのだろう。単なる負け惜しみだったのだろうか。それとも──
「陽菜殿、何か気になることでも?」
晴明が心配そうに声をかけてきた。陽菜は首を振ろうとして、やめた。
「あの人が最後に言った言葉が、どうしても頭から離れないんです」
「虚無の収集家のことか」北斎が眉をひそめる。「確かに、妙に含みのある言い方だったな」
「私も気になっていました」明治が頷く。「彼の行動には、単なる破壊衝動を超えた何かがあるように感じられて」
四人は顔を見合わせた。戦いは終わったはずなのに、なぜこんなにも胸騒ぎがするのだろう。
その時、図書館の奥から微かな光が立ち上がった。陽菜たちが振り返ると、一冊の本が宙に浮かんでいる。表紙は深い紫色で、タイトルは読めない文字で書かれていた。
「これは何だ?」
北斎が警戒しながら近づく。本はゆっくりと彼らの前に降りてきて、陽菜の手の中に収まった。
「温かい」陽菜が驚く。「まるで生きているみたい」
本を開くと、ページの上に映像が浮かび上がった。それは遠い昔の記憶のようだった。
映し出されたのは、一人の青年の姿だった。現代とも古代ともつかない時代の装いで、穏やかな笑顔を浮かべている。青年は大きな図書館のような場所で、たくさんの人々に囲まれて本を読んでいた。
「この人は」陽菜が息を飲む。
青年の周りには、老若男女を問わず多くの人が集まっていた。みな幸せそうな表情で、青年が語る物語に耳を傾けている。青年もまた、人々の笑顔を見て心から嬉しそうだった。
しかし映像は一転する。災害が起こり、図書館が崩壊していく。人々が逃げ惑う中、青年は必死に本を守ろうとしていた。そして──すべてが闇に飲み込まれた。
「まさか」晴明が震え声で呟く。
次の場面では、青年が一人、荒れ果てた大地に佇んでいた。彼が愛した図書館も、大切な人々も、すべて失われてしまった後だった。青年の表情から笑顔は消え、代わりに深い絶望が宿っていた。
「すべてがなくなってしまった」
映像の中で青年が呟く。その声は、陽菜たちがよく知っている声だった。
「虚無の収集家」明治が驚愕する。
そうだった。この青年こそが、後に虚無の収集家となる人物だったのだ。彼もまた、かつては人々と記憶を愛していた。しかし、すべてを失った痛みに耐えきれず、いっそのこと何もない世界を求めるようになってしまったのだ。
「なんてことだ」北斎が拳を握りしめる。「俺たちと同じだったんじゃないか、あいつも」
映像はさらに続いた。青年が時空を彷徨い、同じような悲しみを抱えた存在たちと出会う場面。それらが時喰いとなっていく過程。そして青年自身が、痛みから逃れるために自分の心を閉ざしていく様子。
陽菜の胸が締めつけられた。虚無の収集家は単なる悪役ではなかった。彼は、愛するものを失った深い悲しみから生まれた存在だったのだ。
「記憶があるから苦しい。記憶があるから悲しい。だったら、すべての記憶を消してしまえばいい」
映像の中で、青年がそう呟いた時、陽菜は涙が止まらなくなった。
「でも、それは間違ってる」陽菜が本に向かって語りかける。「記憶は確かに痛みをもたらすこともある。でも、同時に温もりや愛も運んでくれる。それを全部消してしまったら、愛した人たちのことも忘れてしまう」
本のページが光った。映像が変わり、青年の周りに再び人々の笑顔が浮かんだ。彼が愛した人たちの記憶が、温かい光となって青年を包んでいる。
「そうか」晴明が悟ったように言った。「彼は自分の痛みから逃れようとして、同時に大切な記憶まで失おうとしていたのですね」
「悲しい奴だな」北斎が目を潤ませる。「本当は愛に溢れた人だったんじゃないか」
陽菜は本を大切に抱きしめた。虚無の収集家への怒りは消え、代わりに深い同情が心を満たしていた。彼もまた、愛ゆえに苦しんでいたのだ。
「私たちは彼を倒した。でも、彼の痛みを癒すことはできなかった」
陽菜の言葉に、仲間たちも沈黙した。勝利の喜びは複雑な感情に変わっていた。
その時、図書館の奥から新たな気配が立ち上がった。陽菜たちが振り返ると、そこには見知らぬ扉が現れていた。扉の向こうから、微かに声が聞こえてくる。
「助けて」
それは、虚無の収集家の声だった。しかし以前のような冷たさはなく、純粋な苦しみに満ちていた。
「まだ終わっていない」陽菜が立ち上がる。「彼はまだ苦しんでいる」
「行くのか?」晴明が問う。
陽菜は頷いた。「私たちは図書館の守人です。記憶を守るのが使命。それは、彼の記憶も含めてです」
四人は顔を見合わせ、決意を新たにした。真の戦いは、これから始まるのかもしれない。