時層図書館の大広間に、重い沈黙が降りていた。虚無の収集家の宣言から一夜が明け、四人は円卓を囲んで今後の対策を練っていたが、話し合いは思うように進まなかった。
「やはり、各時代の状況を直接確認する必要がある」
晴明が静かに口を開いた。彼の表情はいつにも増して厳しく、紫の瞳に深い憂いが宿っている。
「時喰いの被害がどこまで広がっているか、そして虚無の収集家がどのような手段で攻撃を仕掛けてくるか。それを知らずして、有効な対策は立てられない」
陽菜は不安そうに唇を噛んだ。昨夜から胸の奥で渦巻いている恐れが、晴明の言葉でさらに大きくなる。
「でも、みんながバラバラになってしまうのは……」
「心配するな、陽菜」
北斎が豪快に笑って見せた。しかし、その笑顔の裏に隠された緊張を、陽菜は見逃さなかった。
「俺たちは時空を超えた絆で結ばれている。少々離れたところで、その繋がりが切れるわけじゃない」
エジソン明治が机の上に小さな装置を置いた。真鍮と水晶で作られたそれは、淡い光を放って美しく輝いている。
「これは時空通信機の試作品です。各時代にいても、お互いの状況を確認できるようになります。まだ完全ではありませんが、短時間の交信なら可能でしょう」
陽菜は装置を手に取った。手のひらほどの大きさの機械は、温かく脈打つような振動を伝えてくる。
「これがあれば、少しは安心できます」
「決まりだな」
晴明が立ち上がった。
「私は平安の都へ、北斎は江戸へ、エジソン明治は明治の東京へ。それぞれ三日間かけて調査を行い、四日目にここで再会しよう」
陽菜も慌てて立ち上がる。
「私はどうすれば……」
「陽菜は現代で図書館を守っていてくれ」
晴明の言葉に、陽菜の表情が曇った。みんなが危険を冒して調査に向かうのに、自分だけが安全な場所にいるのは納得できない。
その心情を察したのか、北斎が陽菜の肩に手を置いた。
「図書館の守りも重要な役目だ。虚無の収集家がいつ攻撃を仕掛けてくるかわからない。陽菜がここにいてくれれば、俺たちも安心して調査に専念できる」
エジソン明治もうなずく。
「現代の情報収集も必要です。古書街の様子や、一般の人々に異変が起きていないか。陽菜にしかできない調査があります」
陽菜は複雑な思いで仲間たちを見つめた。確かに彼らの言うことは理解できる。しかし、心のどこかで湧き上がる孤独感を押し殺すことはできなかった。
「わかりました。でも、必ず無事に戻ってきてください」
「約束する」
晴明が微笑んだ。普段は感情を表に出さない彼の、珍しく優しい表情だった。
準備は思ったより早く整った。それぞれが必要な道具を持ち、時空通信機を懐に収める。陽菜は図書館の入り口で、三人を見送ることになった。
「では、行ってくる」
晴明が最初に時代の扉をくぐった。平安時代へと続く扉が淡い光を放ち、彼の姿を包み込んでいく。
「江戸で面白いものが見つかったら、土産話を用意しておくぜ」
北斎が手を振りながら、自分の時代へと消えていく。
「新しい発明のヒントが見つかるかもしれませんね」
エジソン明治も軽やかな足取りで扉の向こうへ。
そして、陽菜は一人になった。
図書館の静寂が、これまでになく重く感じられる。無数の本棚に囲まれた空間は、四人でいる時には心地よい安らぎを与えてくれたが、今は広すぎるように思えた。
陽菜は現代の扉をくぐり、久しぶりに東京の街に足を向けた。古書街はいつもと変わらぬ様子で、人々が行き交っている。しかし、注意深く観察すると、微細な異変に気づいた。
本を手に取る人々の表情が、どこか虚ろなのだ。文字を追う視線に集中力が欠けており、すぐに本を閉じて別の場所へ移動してしまう。
「記憶に関する能力が、少しずつ削がれている……」
陽菜は呟いた。虚無の収集家の影響が、既に現実世界にも及び始めているのかもしれない。
その時、懐の通信機が温かく光った。最初の連絡だった。
「陽菜、聞こえるか?」
晴明の声が、小さく響く。
「はい、聞こえます」
「平安の都でも異変が起きている。人々の記憶が曖昧になり、古い歌や物語を忘れ始めている者が多い。これは深刻な事態だ」
続いて北斎の声。
「江戸も同じだ。職人たちが技術を思い出せなくなっている。俺の弟子の一人は、昨日まで完璧に描けていた技法を、今日は全く覚えていなかった」
エジソン明治の報告も重苦しい。
「明治の東京でも、西洋から学んだ知識を忘れる学者が続出しています。文明開化の記憶そのものが薄れているようです」
陽菜は愕然とした。虚無の収集家の攻撃は、既に全時代に及んでいる。そして、その影響は日に日に強くなっているのだ。
「急いで対策を考えなければ」
陽菜が通信機に向かって話しかけようとした時、図書館の方角から不穏な光が立ち上った。オレンジ色の炎のような光が、空に向かって伸びている。
「みなさん、図書館に異変が……」
陽菜は慌てて古書街を駆け抜けた。図書館への入り口に着くと、そこには見知らぬ影がゆらめいている。虚無の収集家だった。
「ついに現れたな、小さな守人よ」
影の声が、陽菜の心に直接響く。
「一人で図書館を守るなど、無謀にもほどがある。お前の仲間たちが戻ってくる頃には、すべてが無に帰しているだろう」
陽菜は震える手で通信機を握りしめた。
「みなさん、収集家が現れました。今すぐ戻って……」
しかし、通信機は応答しない。何らかの妨害を受けているのだ。
虚無の収集家が哄笑する。
「時空の流れを歪めた。お前の仲間たちは、もはやこの時代に戻ることはできない。永遠に自分たちの時代に閉じ込められるのだ」
陽菜の心に絶望が芽生えそうになったが、彼女は必死にそれを振り払った。北斎の言葉を思い出す。「時空を超えた絆で結ばれている」と。
その絆は、簡単に切れるものではないはずだ。
「私は一人じゃない」
陽菜が呟くと、図書館の奥から暖かい光が溢れ出した。仲間たちとの記憶、共に過ごした時間、築き上げた信頼。それらすべてが光となって、陽菜を包み込む。
虚無の収集家の影が、わずかに揺らいだ。
真の戦いが、今始まろうとしていた。